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赤裸々・宮沢賢治(2018.02.13 TUE.)


b0226219_10492802.jpg内陸に向かってくるまで走ると、雪の量がだんだん増えていきます。

 
b0226219_10493350.jpg協和町の道の駅まで恐る恐るドライブです。
お目当の宮崎産の「トマト」と「胡瓜」を求めるためです。
真冬の秋田では採れない夏野菜、胡瓜は糠漬け用に、トマトはたまにはサラダを明るい色で彩りたくて。


さらに角館まで足を伸ばそうと道路を見ますと、サングラスをかけても判然としない『ホワイトアウト』の道です。
即刻諦めて踵を返し秋田市内に向かって帰路につきました。

再び寒波が襲ってきているこんな日は動き回ることを諦めて、炬燵で読書でもいたします。

          ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

心象風景・心の中にあるものを言葉にした(詩)場合、書いた本人以外には理解できないことがあまりにも多い。想像深読みには当然限界があります。これ当たり前のこと。賢治の文学作品の多くは心象風景を読んだものです。
しかし現実にあったこと体験したことからこそ生まれた言葉ですから、過去に遡って軌跡をたどってみたくなる。覗いて検証してみたくなる。ましては対象者が興味深い人気の「宮沢賢治」ならば、トライする人も少なくはないのでしょう。

宮沢賢治の作品を読み解くための検証から、書かれたものを二つ読んでみました。

「宮沢賢治の真実」  今野 勉 著では、
季節、気候、場所、星の運行から親しくしていた人間関係を参考に、賢治の心象風景を解き明かそうとした作品「宮沢賢治の真実」。賢治の生き抜こうとするが故の苦悩は凄まじい。
賢治に加えて、真摯に自分に向き合い生きようとした妹とし子の苦悩も暴かれていて痛々しい。

「銀河鉄道の父」門井 慶喜 著では、
賢治の旺盛な好奇心は、経済的な裏打なくしては満たされない。それを可能にしたのが父親の財力だった。
父親は花巻の名氏ではあったが、貧しい者相手の「質屋」と質流れ品も扱う「古着屋」商売。
賢治はそれを引け目に感じながらも、稼ぐことに追われることなく、行こうと思うところに行き、欲しいと思った書籍を買い、詩作に没頭している。あの手この手で父親によく金の無心をして、父親もまたそれに応じているからだ。財力があるゆえに可能だった父親の愛情表現なのかもしれない。

この世の中に確かなものは何もない。なのにより確かな安定を求めて心を乱すことが人生の常。
二つの作品は、宮沢賢治を丸裸にし、人間の弱さ悲しさばかりを知らしめて、少し不愉快でさえありました。
しかし、天才賢治のイメージが砕かれたその後に、誰の中にもある脆くて壊れやすい等身大の人間くさい人間像が浮き上がってきたように思いました。

難解な文章を読み解くには、辛すぎる賢治の壮絶な心象風景の読み解きが役に立つことでしょう。
作品を生み出した賢治その人に焦点を当てた興味深い二冊でした。

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東北の厳しい自然環境が育んだ「宮沢賢治」という人に惹かれて‥‥、冬籠もり最中に読むにふさわしい本だったかもしれません。



by hanatabi-haruko | 2018-02-13 10:55 |

明るいニュース(2018.01.27 SAT.)


真冬日が何日も続いて、旭川の氷が面積をましてゆきます。

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b0226219_19453593.jpgカモたちも氷の上で羽を休めています。

 
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今夜で寒さは一旦峠を超えるそうですが、そうは言ってもまだ1月の下旬です。2月、3月まで油断はできません。
風邪をひかないように気を引き締めます。

冷たい日本列島、冷めきった角界に明るいニュースです。
西前頭三枚目栃ノ心剛史さん、優勝おめでとう!!
初場所14日目で優勝を決めました。

b0226219_19454617.jpg来日してから12年、平幕力士の優勝は6年ぶり、ジョウジア出身力士の初優勝、記録ずくめの快挙です。
右膝靱帯断絶の怪我の後の復帰、分厚いテーピングが痛々しい角界のニコラスケイジ、イケメンですね。

2016年夏、地方巡業で秋田市にいらしたとき、浴衣の着流しの大男がふらりと店に立ち寄ってくれました。
もちろんあれこれ秋田の日本酒を選んでお買い上げくださいました。

本当におめでとうございました!




by hanatabi-haruko | 2018-01-27 19:55 |

心のバランスが崩れる(2017.12.10 SUN.)


「故郷の様子を知りたいならば、この人に電話すればよい。」と、ずっと頼りにしていた友人が、二ケ月ほど前に亡くなっていたことを知りました。(私の故郷は、暖かい千葉県の房総半島にあります。)
電話口で言葉を詰まらせるご主人に、「え、なんとおっしゃいました?」と聞き直してしまいました。
あまりにも突然なことでしたので。

いつもと様子が違ってとても辛そうで、病院に連れて行ったのが9月の26日。三日後の29日には手立てもないまま亡くなったとのことです。看病をする間も無く見送られたご家族の喪失感は、想像に余りあります。

友人とは一年に2,3回ほどしかやり取りをしない私ですら、「故郷と繋がっている」という思い、心のバランスが崩れてしまったことを感ぜずにいられません。

<ナガチャンの思い出>
高校時代、親しい友人同士は苗字にちゃん付けで呼びあっていました。ナガチャンはナガナヒサエさん。因みに私はシバタでしたので、シバチャンと呼ばれていました。 

数年前の同級会のことでした。幹事だったナガチャンは
厄介な酔っ払いのおじさんに成り下がった同級生の男子。15分程の道のりの駅に千鳥足でたどり着けるか心配で、後を追いかけて無事を確かめるという責任感のある優しさでした。

また、住所がわかりにくい二次会会場の場所。遠くからのお迎えの車を心配し、間違えやすい辻に立って待つ気遣いでした。数えたらきりがないナガチャンの思いやりを思い出します。

それ以前から彼女の優しさは知っていました。
花を育てることが好きだったナガチャン。自宅の庭で育てた花を、私の実家のお墓に季節ごとにお庭の花を手向けてくれていたのです。故郷を遠く離れて、父母の墓を気にしながらも疎遠になっていた私は、救われた思いでした。
 

ナガチャンは長い間、ホテルの接客係りを職業として活躍してきました。
誰に対しても想像力を働かせて気遣いでき、労を厭わず、無理した様子を見せない。
同級会が催されたのは彼女の仕事場であるホテルでした。朝から丸一日彼女の働きぶりを側で見、宿泊も同室でしたので彼女の凄さ(プロ根性)を目の当たりにいたしました。
ナガチャンに部屋担当を希望する古くからのホテル客もいて、結局長い勤めとなりようやく接客職を退いたばかりでした。とは言え、彼女の活躍の場は用意されていて、「ホテルのお花係りの仕事をする」と聞いておりました。ナガチャンにぴったりの仕事だと思っておりましたのに残念です。

年を重ねてきますと、毎日のように発生する出来事、困難はもう慣れっこで、微調整をしながらなんとか辻褄合わせをして凌いでいます。が、あんなに優しかった友人が突然遠くに行ってしまったということは予期せぬことで、現実を受け止めかねています。時々思い出しては北国秋田のどんよりした冬空のように気持ちが塞ぎます。
ご冥福を心からお祈りいたします。

b0226219_09243533.jpg週末には小さいお子さん連れのお客さんも見えます。
飾られたサンタさんや贈り物のミニボックスを見ながら、パパママのお買い物が済むのを待っていてくれます。


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12月も半ば、喪中ハガキが届く頃となりました。
この一年間に亡くなった皆さんのご冥福をお祈りしつつ、仕事に忙殺される日々を過ごしております。




by hanatabi-haruko | 2017-12-10 09:35 |

方言で苦労した話(2017.06.07 WED.)


天の戸の森谷さんの杜氏コラム「恋する秋田弁」を読みました。
面白くも切ないお話でした。何年か前まで、私も方言で苦労していたことを思い出します。


東京から娘を伴って秋田に移住してから40年以上経ちます。
思い起こせば遠く東北の地に移住して、耳慣れない秋田弁に随分悩まされました。

何回も聞き直すことが失礼に思えて、曖昧なまま注文を受けて失敗したこともありました。
イッケェースゥって‥‥1ケースなの?一級酒なの?‥‥など。

夫は地元の人とは秋田弁で、私が会話に入ると私に話すときだけは標準語(?)でした。
無理だろうと思ったのか、秋田弁で話すことを促されたこともありませんでした。
たまに勇気を出して秋田弁を使ってみたときの夫の反応は、冷ややかなものでした。
「わざとらしい」とか「濁音が違う」とか厳しく否定されました。微妙な半濁音ができないんです。
そんなことがあって、私は秋田弁を使いこなす生活を早々と放棄し、秋田弁を使わずに気を許して話せるのは夫だけの日々を過ごしていました。

娘(第一子)が秋田市のど真ん中の小学校に入学してからは、転勤族の奥さんたちと心置き無く意思疎通ができホッとしたものです。ただし、せっかく仲良くなっても、数年すると次の任地に引越して行ってしまう。大多数は秋田地元のお母さんでしたから。
PTAの集まりが終わって、雑談が始まると途端に私の理解不能なディープな秋田弁での仲間内の会話が始まり、私は置いてゆかれているような疎外感を味わったものです。

娘が小学校中学年の春のPTAのことでした。学年主任のY先生が学年全員の父兄の前で
「就職先の東京で、秋田弁に悩んで他人と会話ができず、自殺した教え子がいた。」と深刻な話をされました。どんな趣旨で話されたのか未だに解りませんが。
「え!そんな悲劇をこの地の人たちは体験することがあるんだ。」ショックでした。

私はハッと気がつき、我ながら名案と思えることを、自信を持って提案しました。
「それならせめて授業中だけでも、みんなで標準語で話すようにしたらどうでしょうか?」
そのお手伝いなら私にもできると思ったからでした。
ところが予期せぬ返答がY先生から発せられて、私は体が硬くなりました。
「秋田弁を(多分、田舎を)バカにするんじゃない!」そんな内容でした。
そして、「標準語ではなく共通語だ」と訂正されました。

余所者が標準語(?)を駆使して、軽々しく発言すべきことではなかったことに気がつき、私は顔が真っ赤になり周囲のお母さんの反応をみる余裕もありませんでした。
抱えているコンプレックスを、余所者から言われたくないのだ。と、察しました。
先生の発言に対して何か発言する人はなく、私の提案がおかしいと言う人もいないまま、しばし沈黙が流れました。その後、何もなかったようにそのことには誰からも一切触れられることはありませんでした。

新しい提案や反対意見は、慎重にも慎重を期して言わなければならないんだと気づきました。
忘れられない地域差ギャップの失敗談です。

千葉県房州、そこで疎開者として受けた仲間はずれの体験が私にはあリます。
我が家での会話は普通に標準語(?)でした。
方言を共有できないものに、地元の子供は厳しいです。
標準語(?)を使うなんて気取っている!と見做されるのです。
さすがに房州の方言の「ダッペ」は恥ずかしくて使いませんでしたが、会話のはじめの語り掛け言葉「アノサ~」はいつの間にか使うようになりました。
なので、就職で上京した時には、その辺は注意して話していた記憶はあります。方言で恥をかいたり悩んだりすることはなかったように覚えています。
 

b0226219_16245963.jpg房州の友人が送ってくれた名産「びわ」と

 
b0226219_16250294.jpg潮の香りがプンプンする「ひじき」
ごちそうさま!


どこに行っても自分を崩さず、譲らない大阪弁は別格です。
吉幾三さんや伊奈かっぺいさんが開き直って使い続け認知された青森弁、ラッパーの間では人気の秋田音頭など、東北地方出身であることが自慢できる材料にもなりました。
昔のような方言に対する偏見が少なくなったと感じます。
方言こそアイデンティティーだ!!と大きな声で言えるようになったのかもしれません。

今では時々「んだから~」「んだね」などと秋田弁が混じり喋る私です。
そして都合よく、ある時には生まれた富山県八尾町をふるさとと言い、またある時は育った千葉県の房州をふるさとと言い、県外に出れば今現在住んでいる秋田がふるさとだと言い‥‥関わってきた場所全てがふるさとだと言えることが嬉しいです。どこかひとつに決められないのです。

b0226219_16250571.jpg食べ始めてから、気がつきました。


食卓に並ぶ惣菜「わらびのお浸し」も、「ミズと蛸の辛子醤油和え」も、「根曲がり筍と油揚げの味噌汁」も、どれも秋田の自慢の山菜、ふるさとの味を当たり前のように食べています。美味しい!
ことほど左様に紆余曲折があって、私流にこの地に根付いています。
文化は、どんな地にどんな人種として生を受けたかではなく、どんな言語で生きているかによって決まるのかもしれませんね。

たまに県外からのお客さんに「秋田弁が聞きたい!」と言われることがあります。
そんな時は夫が、今はもう誰も使わないだろうゴテゴテの秋田弁で対応します。
(わざとらし〜い!可笑し~い!)



by hanatabi-haruko | 2017-06-07 16:29 |

鎌鼬美術館(2017.06.05 MON.)


ずっと行きたかった羽後町の「鎌鼬美術館」に行ってみました。(冬以外の土日開館)

b0226219_17054080.jpg鎌鼬(かまいたち)‥‥日本に伝わる妖怪で、風と共にやってきて気付かぬうちに刃物で切りつけられたような傷が付いている。

 
b0226219_17054899.jpgここは長谷山家の敷地でした。

敷地の前のはさ掛けの木組みは、



b0226219_17065050.jpg写真家細江英公が撮影した土方巽演出「鎌鼬」を象徴するもの。


b0226219_17055206.jpg田代地区の地主だった長谷山家は、右側に母屋が明治15年に、

 
そして左側には、3階建ての鞘堂に収まる座敷蔵 が明治35年に建てられたそうです。



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b0226219_17055942.jpgこの家の上客をもてなしたと言われる座敷蔵は、


b0226219_17060498.jpg今は羽後町で生まれた暗黒舞踏家・土方巽の活躍を記録した細江英公の写真が展示される美術館として解放されております。


b0226219_17060908.jpg立派な漆塗りの梁に、白漆喰の壁がなんと美しいこと!


秋田出身の舞踏家 土方巽の存在には関心がなかったわけではありませんが、

b0226219_17064550.jpg情報だけで、実際にその舞踏を観たことはありません。


b0226219_17064762.jpg以前手に入れたポストカード


b0226219_17061323.jpg身長170センチを超える土方と、案外小柄だった玉野黄市(一度間近で観劇しました)のツーショット。二人の腰の位置の違いに驚きます。



あくまでも軽そうに高く飛躍する西洋のバレーに対し彼の舞踏は、腰を出来うる限り低くし体を硬くして素足で泥の大地を掴むよう。
すらりと長い西洋人の足に対して、田んぼの畦道に一日中飯詰(えずめ)に括り付けられて赤ん坊の頃を過ごしたガニ股O脚の東北人の足。そんな生まれ持った体躯前提で表現する土方の舞踏は、観劇者にとって決して心地よいとは言えず、ひ弱な鑑賞者を寄せ付けないものだったかもしれません。が、彼の周辺には若き芸術家や賛同者たちが集い、彼の暗黒舞踏の試みを支持していたようです。

b0226219_17062117.jpg自然光が入る座敷蔵の2階。


b0226219_17061823.jpg巨大とも言える木材に圧倒されます。


b0226219_17062514.jpg「アスベスト館」での練習風景の写真


案内は、かつて長谷山家の大番頭だった家系で、近くの酒屋さんのご主人菅原さん。
私たちの知識を補足してくれ、土方巽へのさらなる興味を膨らませてくれました。
ありがとうございました。


b0226219_17063236.jpg贅沢な作りの母屋を抜けて


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2階の渡り廊下を鞘堂側に渡りますと

b0226219_17063781.jpg鞘堂3階はモダンな雰囲気の大広間です。


b0226219_17064035.jpgわざわざガスを引いて(ガスボンベかな?)ガス灯が設置されていたようです。


終戦までこの地区600町歩を取り仕切った大地主と小作人だった農民とは(お互いに)、当然のことながら距離をとっての付き合いだったようでした。
昭和の初めまで電気がこなかったところだそうです。が、贅沢な洋室には煌々と明かりがともり、事あるごとに地元の名士たちが集り、その度ごとに母屋の台所から階段を上がり下りして料理を運んだそうです。

時代は変わったといえどそんな田舎で、突然やってきた前衛芸術家を農民たちは拒否することもなく撮影を許しました。想像するに、農民と土方の間には利害関係は全くありません。自分を解放しありのままに振る舞う土方巽に戸惑い気圧されながらも、案外同じ(土の)匂いを感じて受け入れてしまったのではないでしょうか。稲刈りの繁忙期であったにもかかわらずです。

地元の農民を巻き込んで、よくぞ傑作「鎌鼬」が生まれたものだと不思議でしたが、雇われて掃除をしていた地元の方の話を聞いて納得できたような気がいたしました。
そして今では一緒に写真に撮られたことが、大切な思い出になっている年寄りがいるとのことでした。

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はさ掛けをしている農家は今でもいるそうです。縦柱の「はさ」は地面に差し込むのが大変で、もう何十年もこのままだそうです。
田植えの終わった小雨降る田んぼが‥‥美し〜い!

b0226219_17065962.jpgこの季節の花「ウツギ」、別名イワシバナが雨に濡れていました。


秋田市からは車で約1時間半の内陸部の田代地区ですが、熱心な外国からの訪問者もあり、年間2000人ほどの見学者がいるそうです。
行ってみてよかったと思っています。
by hanatabi-haruko | 2017-06-05 17:41 |

田村一氏の個展「新・折衷主義」を覗いて(2017.03.10 FRI.)


b0226219_14275416.jpg陶芸家田村一さんの個展のポストカードが届きました。
今回のテーマは「新・折衷主義」


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会場は近くです。早速覗いてみました。
白磁に鉱物の「からみ」の粉を乗せて焼いたそうです。
清冽な白色が、地の底からの鉱物を受け止めて焼かれ融合しています。
他にも大胆な造形物が、「どう!どう?」と、問いかけてきます。

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そう言えば、前回は

b0226219_14281911.jpgこんな唇の盃を衝動買いしました。
ちょっとグロテスク、でもオシャレ!


b0226219_14282267.jpgとても繊細です。


田村さんのお話を聞きながらアレコレ眺めているうちに欲しくなって、直径12センチほどの小鉢(碗)を求めました。

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生成りがかった白の逆三角錐、
渕に沿ってぐるりの釉薬が緑も茶も色調が抑えられて‥‥形はまるで生え揃った粘菌の子実体みたいです。

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b0226219_14281381.jpg参考までに


b0226219_14280365.jpgこの角度から眺めては、 癒されています。

いいなぁ〜!





by hanatabi-haruko | 2017-03-10 14:51 |

忌野清志郎 「カバーズ」1988年(2017.03.04 SAT.)


忌野清志郎 「カバーズ」、発売してから29年も経っているけれど、聞く度に2011.3.11大震災の原子力発電所の事故‥‥放射線の影響に怯え故郷を捨てて逃げる人々の様子が甦ります。(我が家でも、孫たちの安全を考えたら日本国外に脱出するしかないかと、親たちは真剣に考えていたようです。)

<サマータイム・ブルース>

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b0226219_10173803.jpg♪暑い夏がそこまで来てる 
みんなが海にくり出していく
人気のない所で泳いだら 
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ  何のため? 
狭い日本のサマータイム・ブルース
 


b0226219_10174161.jpg♪熱い炎がさきっちょまで出てる
 東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく 
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ 誰のため?
 狭い日本のサマータイム・ブルース 



b0226219_10174531.jpg♪寒い冬がそこまで来てる 
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもTVは言っている 
「日本の原発は安全です」 
さっぱりわかんねえ 根拠がねえ 
これが最後のサマータイム・ブルース



b0226219_10175000.jpg♪あくせく稼いで税金とられ 
たまのバカンス田舎に行けば
37個も建っている 
原子力発電所がまだ増える
知らねえうちに 漏れていた 
あきれたもんだなサマータイム・ブルース




電力は余っている 要らねえ もう要らねえ
電力は余っている 要らねえ 欲しくない
電力は要らねえ 危ねえ 欲しくない‥‥‥


サマータイム・ブルースはアメリカのロックンロール草創期に活躍したエディ・コクランの代表作。
チェルノブイリで原発事故が起きたのは「カバーズ」発売2年前の1986.4.26。

RCサクセションの「カバーズ」が東芝からは発売禁止になり、発売元を替えて世に出た(1988.8.15)ことが話題になり、オリコンチャート1位を記録した。

そのころ、原発は二酸化炭素を排出しないあたかもクリーンなエネルギーであるかの如く宣伝されていた。そうは言われても、日本人には広島、長崎と、核被爆の歴史体験があるし、疑いの目で見ていた人たちも多かったように思う。
「 カバーズ」には、核戦争で世界が破滅するんじゃないかと警告する替え歌や、日本の政財界の拝金主義者を揶揄するカバー曲が他に10曲入っている。またレコーディングに参加協力している豪華メンバーにも興味があります。

思ったら歌にする。とは言っても、彼のスタイルから想像しますと、反戦反原発ソングで『メッセージ』を世に発信したつもりはなくて、人間の愚かさ、詳細を知らされないままに被災した人たちの哀しみや怒り無念さを言葉にしただけ なんだと思います。残念なことに、彼は2009年喉頭がんのため58歳の若さで死去。2011年の東日本の大震災、原発事故まで後2年でした。

彼忌野清志郎 はチェルノブイリ原発事故の惨状を知り、核戦争の脅威や原発事故はどこか遠い国の出来事ではなく、日本でも起き得ることを特有の動物的嗅覚で予感したのかもしれません。彼の予感は的中しました。

清志郎さ~ん! 貴方の懸念していたことがほぼ現実になって、わたしたちは驚きオロオロしています。もし貴方が健在だったなら、心配が現実のものになったことを、ご自身が一番驚き哀しんだかもしれませんね。

できることなら長生きして、2011.3.11の東京電力の地上最悪の原発事故を一緒に検証し続けてほしかった。(事故から6年経っても未だに、メルトダウンした核燃料の処理には手が付けられずにいます。高濃度の放射線の為ロボットさえ予定通りに起動できずにいるようです。汚染水のタンク、除染物の入った黒いビニール袋は原発周辺に山積みのまま。つまり事故のあった周辺には高濃度の放射線がこの先何十年も、まだまだ存在し続けるってことなんでしょう。) 
「福島の原子力発電所は、完全にコントロールされているなんてウソさ!」 って、歌って欲しかったです。
発禁を恐れずにありのままを表現できるエンターテイナーは、清志郎さん、あなたくらいしかいないかもしれませんから。
「オレにはもう関係ないよ!」なんて言わないで、遠い空の上から見守ってくれているって思わせてください。

ドライブ中に聞きたいCDラックの中に、忌野清志郎のこの「カバーズ」も入っています。
深刻な内容、歯に衣着せぬ物言い、なのにスカッと歌う明るさ。クセのあるしゃがれた高音を、時々聞きたくなるのです。
 




by hanatabi-haruko | 2017-03-04 10:33 |

2016・マイブーム(2016.12.28 WED.)

一つ目は

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ケータイマグ500ml入りが大活躍いたしました。

喉を潤すことは勿論ですが、水分補給が一番の目的ですので、夏でも体温に近い温度のお湯を入れておいて、ゴクゴク飲みました。

 
お陰で夏の間は大活躍、夏バテもせず脱水症状に陥ることもなく過ごせました。

では冬はどうなのか?
最近仕入れた情報によりますと、 「10分置きに喉に水分を通過させれば、風邪の菌が洗い流され(胃では胃酸で菌が死滅するので)風邪に掛かり難い」 そうです。
そこまでせずとも、気がついた時に一口飲めば、他人(ひと)と接することの多いこの時期、風邪予防によいかもしれません。
旅にも携帯しますし、一年を通して手放せないものになりました。

二つ目は

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梅ジャム。

ジャムの定義に甘いという項目があるとしたら、これはジャムではありませんが。

 
話せば長いことながら、梅の実の出回る初夏のころでした。
「梅の実ってどうして青い実が多く売られているのだろう?実っていう以上は美味しさは熟れてこそじゃないのかな?」
苺、山葡萄、ハマナスなど、熟れた果実に出会うと砂糖で煮てジャムにしてみたくなる私です。そんな疑問が私のなかで大きくなっていました。
オレンジ色に熟れた梅の実を店頭で見かけたときには、迷わず「今年は梅ジャムに挑戦してみよう!」と決まっていました。

わくわくしながらの作業でしたが、甘酸っぱい美味しい梅ジャムは‥‥結局できませんでした。
何故って、気付いた時には時既に遅し。砂糖のはずが塩を、それも大量に投入した後だったからです。なにをぼやっとしていたのでしょう!

諦めきれず、艶やかな飴色の失敗作「梅ジャム」は、私の執念で一転して自己流「梅日塩」に変身です。

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ところがこれが 絶妙な塩梅で、思いがけず美味!!
スプーンにほんの少しの量を野菜に混ぜるだけで

 
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↑ 後はオリーブオイルをお好みの量かければ、梅の風味の爽やかなドレッシングになるのです!
お~、良かった良かった!
大事な材料と光熱費と時間を無駄にせずにすみました。ホッ!

来年は最初から「梅日塩」造りをしようと思っていますが、またまた勘違いして今度こそ「梅ジャム」ができたりして‥‥それもまたいいかな?
by hanatabi-haruko | 2016-12-28 09:09 |

ノーベル賞受賞・話題の人(2016.12.12 MON.)

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日曜日、未明の降雪で道路が一面白くなりました。

 
日曜日未明と言えば、スエーデンのストックホルムではノーベル賞の授賞式が開かれていたようです。

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大隅さんがノーベル賞受賞晩餐会で、


「酵母をおよそ40年研究してきた。この機会に酵母からたくさんの教えや素晴らしい贈物を貰ったことに感謝したい」 と挨拶され、「私が もっとも気に入っているのは酒」 と続けて、会場の笑いを誘った。と報道されました。
日本固有の醸造酒「酒」の酵母の魅力を伝えてくれたような気がして、酒関係の仕事に携わるものとして、してやったり! のうれしさです!
来店のお客様との会話も更に盛り上がり、酒談議に花が咲きそうです。

もう一人、私が感心をもった受賞者はボブ・ディランです。
↓ 新聞の一ページ全面に載ったボブ・ディランの記事です。

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折しもテレビでは1960年代フォークシンガーの活躍前夜を思わせる映画を見ましたし、10日深夜、11日深夜はふた夜連続で「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」前・後が流れました。

聞いたことのなかった斬新なメロディーラインで驚いたのはビートルズ。
歌詩で衝撃を受けたのはボブ・ディランだったことを思いだしています。
授賞式には欠席が分っていたボブ・ディランでしたが、代理人を立て最低限の礼は尽くした形になったのは意外でしたが。

月曜日の今日、町中の雪はすっかり解けてしまいました。
by hanatabi-haruko | 2016-12-12 19:26 |

日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!‥(2016.12.07 WED.)

今、イノベーション=「革新」‥制度や組織などをかえて、新しいものとすること‥という言葉がよく使われています。(リフォームに近いかな?)

新政酒造の蔵元・佐藤祐輔さんが、最近 <日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!2016.11.20 前編 2016.11.29 後篇のテーマで対談されています。
とても興味深い内容でした。

自らの理想とする酒造りについて、直球を投げるような発言です。
酒造りの理想を江戸時代の生酛造りとし、当然アルコールや乳酸などもろもろの添加物を認めず、酒の個性を新種酵母の開発に求めず(6号酵母に限定)などなど‥‥健全な思考で掘り下げてゆく。酒を醸すことを通して、日本文化の固有性をも根底から問い直す。胸がすく思いでした。
読んでゆくうちに、これは「革新」ではなく「革命」じゃないかと直感して‥‥どきり!(日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!で検索できますので、是非ともご一読を)

且つて、レボリューション=「革命」‥既成の政治権力を倒し(握り)、国家や社会の組織を根本的に変えること‥と言う言葉を身近に感じたことがありました。

時代は遡って50年近く前、学生運動が日本社会を大きく揺さぶっていた頃のことです。
場所は日比谷公園。若者たちの圧倒的な支持を得て青白き青年、東大全共闘 代表 山本義隆氏が登壇しました。
連帯を求めて孤立を恐れず 力及ばずして倒れることを辞さないが 力を尽くさずして挫(くじ)けることを拒否する  
のメッセージカードを胸に付けて。

折しもベトナム戦争が激しくなり、毎日のように戦闘機が沖縄のアメリカ軍基地から発進し、ベトナムの国土をキャタピラで踏みにじる戦車が日本から運び出されていました。
いかに日米安保条約が締結されていたとはいえ、「それを傍観することは、ベトナム戦争のアメリカ側に加担するに等しい」と、私も思っていました。
反安保、反戦、大学の自治等々を掲げて学生運動が激しさを増していました。

正義の筋を通そうとする若者たちの、常識を破壊するラジカルな発信に、心を揺さぶられた記憶が甦えりました。

え、ちょっとちがう? かもしれないけれど‥‥でも蔵元さんの発信に、気持ちが揺さぶられたのは確かです。

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↑ ジャコバサボテンが咲き始めました。
by hanatabi-haruko | 2016-12-07 14:40 |