「故郷の様子を知りたいならば、この人に電話すればよい。」と、ずっと頼りにしていた友人が、二ケ月ほど前に亡くなっていたことを知りました。(私の故郷は、暖かい千葉県の房総半島にあります。)
電話口で言葉を詰まらせるご主人に、「え、なんとおっしゃいました?」と聞き直してしまいました。
あまりにも突然なことでしたので。
いつもと様子が違ってとても辛そうで、病院に連れて行ったのが9月の26日。三日後の29日には手立てもないまま亡くなったとのことです。看病をする間も無く見送られたご家族の喪失感は、想像に余りあります。
友人とは一年に2,3回ほどしかやり取りをしない私ですら、「故郷と繋がっている」という思い、心のバランスが崩れてしまったことを感ぜずにいられません。
<ナガチャンの思い出>
高校時代、親しい友人同士は苗字にちゃん付けで呼びあっていました。ナガチャンはナガナヒサエさん。因みに私はシバタでしたので、シバチャンと呼ばれていました。
数年前の同級会のことでした。幹事だったナガチャンは
厄介な酔っ払いのおじさんに成り下がった同級生の男子。15分程の道のりの駅に千鳥足でたどり着けるか心配で、後を追いかけて無事を確かめるという責任感のある優しさでした。
また、住所がわかりにくい二次会会場の場所。遠くからのお迎えの車を心配し、間違えやすい辻に立って待つ気遣いでした。数えたらきりがないナガチャンの思いやりを思い出します。
それ以前から彼女の優しさは知っていました。
花を育てることが好きだったナガチャン。自宅の庭で育てた花を、私の実家のお墓に季節ごとにお庭の花を手向けてくれていたのです。故郷を遠く離れて、父母の墓を気にしながらも疎遠になっていた私は、救われた思いでした。
ナガチャンは長い間、ホテルの接客係りを職業として活躍してきました。
誰に対しても想像力を働かせて気遣いでき、労を厭わず、無理した様子を見せない。
同級会が催されたのは彼女の仕事場であるホテルでした。朝から丸一日彼女の働きぶりを側で見、宿泊も同室でしたので彼女の凄さ(プロ根性)を目の当たりにいたしました。
ナガチャンに部屋担当を希望する古くからのホテル客もいて、結局長い勤めとなりようやく接客職を退いたばかりでした。とは言え、彼女の活躍の場は用意されていて、「ホテルのお花係りの仕事をする」と聞いておりました。ナガチャンにぴったりの仕事だと思っておりましたのに残念です。
年を重ねてきますと、毎日のように発生する出来事、困難はもう慣れっこで、微調整をしながらなんとか辻褄合わせをして凌いでいます。が、あんなに優しかった友人が突然遠くに行ってしまったということは予期せぬことで、現実を受け止めかねています。時々思い出しては北国秋田のどんよりした冬空のように気持ちが塞ぎます。
ご冥福を心からお祈りいたします。
週末には小さいお子さん連れのお客さんも見えます。
飾られたサンタさんや贈り物のミニボックスを見ながら、パパママのお買い物が済むのを待っていてくれます。
12月も半ば、喪中ハガキが届く頃となりました。
この一年間に亡くなった皆さんのご冥福をお祈りしつつ、仕事に忙殺される日々を過ごしております。