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「忘れる」ということ(2014.11.21 FRI.)

我が家の菩提寺のご住職さんは、日曜祭日以外の毎月(義母の)命日にお経をあげにきてくださいます。
夫を早くに亡くした義祖母が信心深かったということもあり、寺との関係が築かれて習慣化しているからでしょうか。

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シクラメン・クラシカルドレス。先日この季節のフラワーショウがありました。


盆・彼岸のお墓参りの準備、仏壇の用意は私の仕事になっていますが、「家業が忙しくて‥‥」を口実に、ご住職さんがいらしても同席して仏壇に手を合わせることは特にはいたしません。
そんな不信心ぶりを咎められることもなく許されており、有り難いと思っています。
「出来ることをすれば良い。」は、先代のご住職さんが教えてくれました。

お勤め後お茶を飲みながらの世間話だけは、私たちも楽しみにしております。
ほぼ同年代のご住職さんとはざっくばらん、忌憚のない会話で盛り上がります。

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季節の花「ポインセチア」


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不信心者の私の悩みと言えば、亡くなってからもう30年40年以上経つ義母、義祖母、義父の「年忌法要」を忘れず数えることでした。
何年か前、「菩提寺さんでコンピューター管理して、予め教えてくれると助かるんですが‥‥」と世間話の中で打診したことがありました。
法要の時期を親切(?)に知らせる寺院ビジネスがあることを、聞いた事があったからです。

ご住職さんの返事は意外なものでした。
「覚えているうちは必要だからで、忘れた時が終わりです。」

なんて理にかなった答えでしょうか。
「え?それでいいんですか?」と聞き直すことを止めました。
<型式に囚われずに、気持ちに無理せず、自然体で生きてゆけばいい。>
お釈迦様のお墨付きが出されたようで、うんと楽になったことを覚えています。
以来、忘れる事を恥じたりしなくて済むようになりました。

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デルフィニュウム


もともと私の脳みその許容量はう~んと小さくて、新たに何かを覚えようとすると非常な努力が必要ですし、せっかく覚えた物でも使わずにいるうちに忘れてしまったものも沢山あります。
(我が家の小さな冷蔵庫の中身は、日に3食分を作る度に見ているので食べ忘れた食材はめったにないけれど‥‥年に1、2度しか使わない物は、何処に仕舞ったのか思いだせない事はしばしばです。)

そして長く生きていると、過去の辛かった事の多くは効率よく(?)どんどん忘れていっていることに気がつきます。
「ボケが始まったのか?」などと思い煩うことなどありません。忘れるからこそ穏やかに生きられるのかもしれません。

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我が家のシャコバサボテン。
今年は例年より早く咲きそうです。

 
自分にとって都合の悪い事は忘れる。
それは身体に優しいこと、自己保身なのかもしれません。

認知症も怖くない!この無責任さ、 どうぞお許しを!
by hanatabi-haruko | 2014-11-21 19:58 | 雑事