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「家業を背負う」ということ(2013.01.11 FRI.)

家業の酒造業に入り、森谷杜氏との同級生コンビで切り開き、見事に軌道に乗せた柿崎社長さんが、一月八日にご逝去されました。

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昨年11月25日(日曜日)。
今季始めての酒蔵訪問を「天の戸」さんに決めた時、柿崎社長さんのご病状をあまり詳しくは知らずにいました。

治療されながら会社にも出勤されているとは伺っておりましたので、
今日がその日だったらお会い出来るのではないか?と、お目にかかれるのを密かに期待していました。

1階の仕込みタンクの辺りを、杜氏さんの案内で歩いていますと、
「いつもお世話になっています。」
社長さんが、何時ものように、きちんと両足を揃え、ちょこんと会釈をされているではありませんか。
私は、期待通りにお会い出来たことが嬉しくて
「社長さん!お忙しいところ‥お邪魔しております!! 」
不覚にも満面の笑みで、何時もより半オクターブも高いうわずった声で応えていました。(「後で同行した娘に、「なんか不自然な挨拶だった」と言われましたが。)
 
あ!、覇気のあるお顔をしていらっしゃる。これなら大丈夫。
私は勝手にそう思い込んでいました。

それが、柿崎社長さんと交した、最後の挨拶になりました。

もの静かで口数の少なかった社長さんが、少しづつ堂々とされてきた
お付合いのこの20年間が思い出されて、走馬灯のように巡ります。

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1992年‥‥「吟醸ひやおろしの会」へのご出品に始まり、
1994年‥‥オリジナルブランド 「純吟ランドオブウォーター」の依頼
2001年‥‥造り真っ直中の御蔵の見学会が始まり
2005年‥‥第1回「京都で秋田酒を飲む会」には柿崎社長さん、森谷            
杜氏さんとご一緒に、夜行列車で京都に出かけました。京都駅近くの東寺を観光し、銀閣寺門前のお店では、メインディッシュがかまどで炊いたごはんと聞き驚きながら、初の催しに備えて昼食をとりました。
2008年‥‥第4回「京都で‥‥」にも柿崎社長、森谷杜氏のコンビで出席くださいました。翌日曜日には、嵐山周辺を観光し、松尾神社にもご一緒しました。車折神社近くのおそば屋さんの昼食は延々2時間、おしゃべりし通し。(柿崎社長さんは無口でしたが、楽しそうでした)。
2010年‥‥第6回「京都で‥‥」には、秋田の若い蔵元さんを率いて、柿崎社長さんと日の丸醸造の佐藤社長さんが、貫禄を見せてくださいました。     

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そして、活気ある酒蔵を訪ねてモチベーションを高めようと、造りの期間中に2回はお邪魔しておりますが、いつも勝手なお願いを快くお引き受け下さり、笑顔で対応してくださる柿崎社長さんでした。

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家業を受け継ぎ背負われて、
森谷杜氏さんと力を合わせ、
酒米の手配、若手の後継者育成にも気を配り、
魅力ある酒蔵に育てて、
お客様の信頼を得、
今や、酒好きなら誰もが知る「天下の天の戸」さんになりました。

振り返りますと、生涯に凄~いお仕事を成された方だなあと‥‥驚きます。

インターネットの時代です。柿崎社長さんの訃報はアッという間に
知れわたりました。
9日の夕方、店にいらしたお客様が、お目当ての一本を選んだ後にもう一本、
「天の戸の社長さんの供養のつもりです。」と言って
<夏田冬蔵・吟の精>をカウンターに持ってこられました。
「ありがとうございます!」
私は、思わず涙ぐんでしまった目を見られないよう、深く頭を下げました。

お蔵は只今造りの真っ最中です。
蔵人は、更に熱く情熱を燃やして酒造りに取組んでいることと思います。例年になく冷え込むお蔵での作業です。どうぞ、体調管理には呉ぐれも気をつけてください。

柿崎秀衛さんのご冥福を心からお祈りいたします。
by hanatabi-haruko | 2013-01-11 15:03 |