花・旅・人

karyonin.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)

鈍色の空。重くのしかかる雲。
雪の予報が出ている日曜の午後、興味のあった展示を観たくて<秋田大学大学院附属鉱業博物館>に出かけました。

山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14385570.jpg

2011年ユネスコ世界記憶遺産に認定された「山本作兵衛氏の 炭坑記録画展」です。(原画は2点展示されていました。)
福岡県は田川市。
♪ 月が出た出~た、月が~出た♪ の歌詞で知られるあの<炭坑節>の町の鉱山。
日本の近代化のエネルギーが<石炭>で賄わわれていた明治時代中頃に、炭坑で働き、日記風に墨でメモされていたものを、後に彩色画にまとめたものです。

山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14393164.jpg
このチラシは福岡県田川市で展示されたときのもので、
炭坑で働く女性に焦点をあてた企画です。


驚くのは、女子どもが当たり前のように駆り出されていたことです。

山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_1440952.jpg
夫婦で役割分担。


山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_1441288.jpg
狭い坑道では、身体の小さい女性の労働が必要でした。


山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14414410.jpg
暖かいご飯では、お弁当に入れた沢庵が痛むので、ご飯をたくのは夕食時。

 
山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14421651.jpg
僅かな荷(家財)を担ぎ、小規模の炭坑(ヤマ)を渡り歩く一家


働く環境は劣悪、危険と背中合わせの炭坑では、亡くなる人も多くいたようです。

山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14425880.jpg

 
山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14433219.jpg


うむ~、厳しくも力を合わせての労働は、苦労ばかりではなかったのでしょうか?
危険と隣り合わせの綱渡りの毎日なのに、何故か暗くない。
職に着けて、働けば働いただけ収入がある安定感なのでしょうか、女性たちが生き生きと描かれています。。
歴史として検証するのとは別で、個人のその時々の幸せは、それぞれ違うのかもしれませんね。
やがて、エネルギー革命で石炭から石油に取って代わる昭和中期には、鉱山が閉鎖され、取り残された人たちや置き去りにされた子どもたちの写真が、土門拳の写真「筑豊のこどもたち」(山形県酒田市、土門拳写真館)で紹介されました。 

現代エネルギーは、(事故前まで)原子力発電に完全移行されようとしていましたが、稼働中も事故後も、相変わらず働く人たちは被爆という危険に晒され続けています。
いつの時代も、危険に身をさらしながら底辺で産業を支える人たちがいる。
そのことが胸に迫ってきます。

鉱業博物館には、鉱石見本も沢山展示されていて受付にある売店にはいろいろな「石」が並んでいました。

山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14441080.jpg
私はその中から、フェルメールブルーで知られている、神秘の青<ラピス・ラズリー>を選んで、自分のお土産にしました。
レシートには、「標本券‥620円」とありました。
え?安〜い!

 
山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_1444416.jpg
午後5時過ぎ、街灯の灯に雪が舞ってみえました。
初雪かな?

 
山本作兵衛氏の「 炭坑記録画展」(2012.11.19 MON.)_b0226219_14451319.jpg
この暮れ最初の忘年会。
純米大吟醸の並ぶ豪華なテーブルです。
贅沢に純米大吟醸の温燗で、身体を温めました。
う〜美味しい!
みんなのペースが早くなったかな?

 

本格的な冬は間近です。
身体は徐々に、冬ヴァージョンになってきました。
by hanatabi-haruko | 2012-11-19 15:15 | 雑事