予報通りの寒波の到来、当然のことながら白一色の世界、冷凍庫の中のような寒さです。
それでも、秋田市内の積雪量はそれほどでもなく、予想通りの忙しさをなんとかこなして1週間が過ぎました。
積雪は多くありませんが、道路は圧雪状態で、車で走るのにも歩くにも
スリップや転倒に注意が必要で、気が抜けません。
年末になって、腹の立つことがありました。
例によって理不尽、不条理にクヨクヨする私は、忙しい仕事途中も
そのことが頭を離れず、たぶん不機嫌な顔をして、店の雰囲気を悪くしていたかもしれません。(お客様、すみません!)
12月5日に20年近くも続いている<女子会>の忘年会で始まり、23日が4回目(今年最後)の忘年会。忙しいと言いながら、結構気分転換しています。
お世話になっている居酒屋さんの忘年会の席でのことです。
宴も酣(たけなわ)、お酒(日本酒)もまわって舌も滑らかになったころのこと。
老若男女のメンバーがばらけ始めて、私の席の辺りは女性のみ、女子会の様相となりました。
遠慮のない会話とは言え、、抑制が効いたとは到底思えない話を聞かされました。若い女性のひとりが朗々と話し始めました。
民族に関わることです。
民族の好き嫌いのこと、第2次世界大戦の正当性(発言者は大東亜戦争と言い直していました)従軍慰安婦は存在しなかったこと等々を、彼女の正論として聞かされました。
呑んで話す話ではないことは百も承知ですが、反論せずにはいられない小心者の私です。
「狭いアジア圏内で、大陸と過去に交流があったことは事実。
為政者のルーツにそれほど興味があるわけではないけれど、聖徳太子の母も、桓武天皇の母親も朝鮮半島のルーツとも聞く。もしかしてじぶんのルーツに繋がるかもしれないのに、嫌い!と断言してどうする。」
民族の歴史、文化を尊重することは、最低限の礼儀と思います。
相手を理解しようとする努力を忘れてはなりません。それが大人としての良識、インテリジェンスというものです。
たぶん私の言うことは、理路整然ともせず不十分な反論でしかなかったと思います。
自分がなおさら空しくなるばかりでした。
帰宅して夫に夢中で話せば話すほど、空まわりして気持ちが伝わらないのか、「だまって聞いていればいい」とか、「そうゆう人は多い」とか、聞き流しているとしか思えない言葉しか返ってきません。
翌日になっても、「あんたには他人事?、第三者的な意見しかないのか?」と言いたいところを抑えているものだから、どんどん思いが内向してイライラしてきます。
「あぁ~!全て自分の問題として、一人で立ち向かっていかなければならないのか?」分っていたはずなのに、甘い自分自身も責めたくなってきます。
夕方になってから書物らしき郵便が届きました。
原発事故以来、ご多忙なYさんが3冊のご本を送ってくださいました。
簡単なお手紙も添えられています。いつもは私に代筆させる夫も、今回ばかりは時間をかけて返事をしたためていました。
Yさんからは先日、毎年戴く暮れのご注文があったばかりです。
そして、ご本のおもて表紙の裏には
夫と私の名前
「同時代を生きた友として」
署名 がされてありました。
幾多の迫害や嫌がらせを受け止めて尚かつ、ご自分の信念を曲げずに生き抜くYさんの強さ、大きさ、優しさを感じ、恥じ入りました。
自分の弱さ小ささ拙さが身にしみます。
Yさんありがとうございます。
こんな時にこのような送りものをくださるなんて、偶然とは思えません。
お陰様でちょっとだけ、優しい気持ちに戻れました。
いつもこんな風に、誰かに励まされ助けられて生きていることに、気づきます。
外は相変わらずの冷え込みです。
でも、ここは北国、しかも冬なんですから。
くよくよなんかしていませんヨ。