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時は流れる(2013.01.30 WED.)

新年もひと月が経とうとしています。

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↑ 今日は珍しく一時ですが、旭川に青空が写っています。

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↑ 竿燈大通り、車道と歩道の間には、寄せられた雪が2mにも達するどっしりと重い雪の山になっています。この雪が全て融けてゆく日が待ち遠しいです。

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↑ところで、 日曜日に新年会がありました。(美味しいお酒が勢揃い。)

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↑故柿崎秀衛社長さんを偲んで、 乾杯酒はやはりこのお酒でした。
「冷やでも燗でもどちらでも美味しい ! 」と、皆さん申し合わせたように温燗もこの酒を、リクエストしていました。

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↑ 日が少しづつ長くなり、正月飾りに求めた「ネコヤナギ」が硬い殻を押しやって、花を咲かせました。寒いと言っても、暦の上ではもうすぐ立春(2月4日)ですものね。
by hanatabi-haruko | 2013-01-30 17:18 | 雑事

お正月休みは東京で‥その2(2013.01.23 WED.)

美術館巡りも勿論しました。
何年か前、出発前ひと月を切ってから、体調不良でスペイン旅行を断念して依頼、未だに実現していない憧れのプラド美術館。
マドリードのプラド美術館所蔵の絵画も、マドリード近郊トレドの美術館からも来ている今回の「エル・グレコ」展は見逃せません。

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エル・グレコ展。
羽田から会場の上野の東京都美術館に直行し、息子を待つ間ゆっくり観賞しました。



エル・グレコは、クレタ島出身のギリシャ人、スペインのトレドで活躍し没した画家。
「マニエリスム」の手法のひとつであるアンバランスに引き延ばされた身体表現で知られています。
彼の描く宗教画の中でも、見上げるような高い場所や天井画に、マニエリスムの特徴がよく表れているようです。

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1576年の「受胎告知」
大天使ガブリエルから、神の子を身ごもったことを伝えられ、驚きを隠せないマリア。ガブリエルのほうが堂々としています。


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1600年の「受胎告知」
同じ主題でもこちらは、覚悟を決め告知を受け入れるマリア。
ガブリエルには、神の子を宿したマリアに対する尊敬の念が表れているように見えます。



1590~95年「「聖アンナのいる聖家族」
マリアの抱く幼子イエスを慈しむ、養父ヨセフとマリアの母アンナの優しい手が表情豊かに誇張されているのが面白い。↓

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1605年「聖衣剥奪」
イエスが十字架に架けられる前に、着ている衣服まで奪わる場面。

神の子イエスの頭上に群集が描かれていることや、聖母マリアを二人のマリアが前後で挟む構図も好まれず、買い取り価格を低く抑えられたという逸話のある絵です。


信仰心から描かれたからか、気品と慈悲あふれるヤコブ像「巡礼者としての聖ヤコブ」(ポストカードがなかったのが、とても残念!)
愛人と噂される「白貂(しろてん)の毛皮をまとう貴婦人」など、人物を忠実に描写した絵画が魅力的でした。(写真はいずれも、ミュージアムショップで購入したポストカードから) 

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西洋美術館の常設展も覗きました。


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モネや


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ピカソ


ルネッサンス時代から近代までの絵画がアレコレ観賞できました。
一日に美術館ふたつはやはり疲れますし、アレコレよりも主題や画家を限定しての展示のほうが、集中できて好みです。

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翌21日朝、次兄夫妻を訪ねるため、渋谷に向かいました。

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↑ 井の頭線への連絡道に岡本太郎の壁画を見つけました。
ダイナミックな絵の下、通勤通学の人たちが早足で移動します。

前回(一年前)上京した時は、飛行機が一便遅れたため充分話ができませんでしたので、今回は帰りのフライトまでゆっくり話をしようと、他の予定をいっさい入れなかったのは正解でした。

秋田名物「キリタンポ鍋」を食べながら、お互いの近況報告をするうちに聞きたかった本題‥‥80歳を越えた兄たちの今後の計画や希望も聞くことが出来、忌憚のないやり取りになりました。
これからは時々顔を合わせて、その都度今現在の計画を聞き、確認できたらいいですね。
こうして、遅いお正月休みは、離れて住む家族と久しぶりに会って濃い会話をし、いつもの旅とは異なった時間を過ごしました。
楽しい二日間でした!
by hanatabi-haruko | 2013-01-23 16:16 |

遅い正月休みを東京で(2013.01.22 TUE.)

予報では20日、21日の天気は、秋田も東京も悪くはないとのこと。
ラッキー!
留守の間に雪が降り積もるのも気がかりですし、せっかく雪から脱出して行った先が、ドンヨリ曇って肌寒いのも残念ですからネ。

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↑ 下界の雪景色は福島県猪苗代湖あたり。
秋田上空の雪雲を抜け出し、東京に近づくにつれ雲が切れてきます。
フライトは順調で、定刻通りの東京入りです。

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20日日曜日は、顔を会わせるのは約2年ぶりの息子と上野で落ち合い、たっぷり一日、一緒に過ごそうという計画です。


一週間程前の大雪がまだ融けきっていない上野公園周辺を、乗り物をつかわずに3人で歩き回りました。

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不忍池の向こうに、スカイツリーが見えます。


昼食は湯島の「欄亭ぽん多」で。
夫は豚カツを、息子はヒレカツと海老フライを、私はぷっくりジューシーな三重県は的矢の牡蠣をフライで。亭主のこだわりのフライを満喫しました。

歩き疲れて入ったのが、上野駅構内にある「レストラン・レカン」。
昭和の写真が飾られた天上が高いホール。プロのウエイターさんの、洗練された立ち居振る舞いを眺めながら、ティータイムを楽しみました。

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去年も訪ねた千駄木の菊見煎餅総本店さんで、パリパリのお煎餅を求めて、お土産にしました。


宿泊する上野駅前のホテルまでは、狭い小路を好んで選び、再び3人で散歩です。

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路地に咲く椿はもとより、シクラメンもジャコバサボテンも、鉢を外に置きっぱなしなのに、霜や雪に負けずに咲いています。
関東地方ではこれが当たり前なんですよね。


ホテルのレストランを予約し、時間迄部屋で飽きずに話し込み、夕食中もしゃべり通しです。
久しぶりに親子でディープな会話ができました。
息子は少し、逞しくなったかもしれません。

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↑ 澄み切った空、夕陽が鮮やかでした。

ホテルの部屋に落着いてから、携帯の歩数計をチェックしてみると、なんと22595歩、14.9㎞も歩いています。
でも膝も腰も‥大丈夫です。嬉しい!
なんせ、12月から雪が降り続き、<雪除け作業>が日課になっていましたから、ほんの少し筋力アップしたかな?
by hanatabi-haruko | 2013-01-22 20:17 |

遅い正月休み(2013.01.19 SAT.)

間断なく降り続く雪。
大雪というよりも、空から静かに落ちて来る粉雪が、低温で融けないまま確実に降り積もってゆく。日中大掛かりの除排雪したその夜に再び降りしきる雪。翌朝、通りは「元の木阿弥」。雪で埋もれます。
そんな経験を半月に二度もしては、気持ちもなえます。

今日は久しぶりに真冬日から抜け出して、青空も久しぶりです。

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複雑な構造の日本家屋では雪下ろしも簡単ではないのでしょう。
あちこちに「落雪注意」の張り紙が張られるようになりました。


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3階建ての建物の軒に下がる「つらら」。
頭上のつららにも注意です。


20日(日)21(月)と、遅い正月休みをいただいて、東京に行ってきます。

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目的の一つは「エル・グレコ」展を覗くことです。
雪のない道路の散歩も楽しみ。たった二日ですが、雪からの脱出です。
by hanatabi-haruko | 2013-01-19 15:54 | 雑事

ありがとうございました(2013.01.16 WED. )

私は、心配事をかかえて煮詰まってしまった時、散歩にでも出て、街の雑踏に紛れ込んでみたくなることがあります。(たぶん、凄い形相でとぼとぼ歩いているんだろうと思いますが)

自分とは全く無関係の、街を行き交う人の中に紛れ、少しの間だけでも心配事から距離を置く。
外の人間に接することで、ふと異なった視点に気付くかもしれないからです。

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昨年9月の初め、今にして思えば、そんな散歩の途中だったのでしょうか?
Mさんがふらっと我が家を訪ねてくれました。
その日は珍しく、お客様の多い日で、嬉しくもそわそわ落着かない一日でした。
来客が途絶えたのを見計らって、Mさんが口を開きました。
Mさんの心配事。それは、私たちも知っているご友人の病気のことでした。

「何か意見を聞きたいのではないんです。質問をした時に yes か no を言ってくれるだけでいいんです‥‥」

働き盛りのご友人の深刻な病状を伺い、家族以外では誰よりも近くにいて、一緒に仕事をされてきたMさんの苦悩が‥私たちの胸に迫りました。
Mさんのお話を聞き、悲しみを共有するだけで精一杯でした。

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Mさんが帰られて、動揺が収まることなく時が過ぎていきました。

「人生には限られた時間がある」と言うことを、私たちは普段すっかり忘れて生きています。
60代半ばを過ぎ、それなりの年齢になっている私たちでさえ然りです。
出来るだけ客観的に捉えて、外の人間が言えることは何か?
自分自身の気持ちを、書くことで整理しようと勤めました。
ブログ(2012年9月6日、7日)は「有限の時を受け入れ、辛さから逃れながらも前向きに生き抜いて欲しい」という、エールのつもりで書きました。 

Mさんが再び私どもを訪ねて下さったのは、10月中旬でした。
「自分に合う治療方法を見つけ、病状も落着いているようです。」との報告をいただきました。
それはよかった!
ご友人が迷いながらも、一歩を踏み出されたことに安堵しました。

それなのに、ご本人の前向きの生き方に救われたのも束の間‥‥
今年になって突然、ご友人の訃報を受け取りました。
Mさんから、yes か no かを聞かれることは、結局一度もありませんでした。

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納得できる人生なんてあるとは思えないけれど、一日一日を丁寧に生きていく。その積み重ねの先に完結(終結)がある。
私はこの先、そんな生き方をしてゆこうと決めました。
遅まきながら、<生きる>ことを真面目に考える機会を持ち、貴重な時間を過ごすことができたことを、Mさんに感謝しています。
Mさん、亡くなられたご友人、お二方に「ありがとうございました。」と、言わせてください。

悲しみの渕におられるMさんに、今は掛ける言葉が見つかりません。
できれば散歩ではなく何処か遠くに、旅に出ることをお勧めしたいところですが。
これから、ご友人亡き後を託され、期待され‥‥多分Mさんのことだから、期待に応えようと頑張り過ぎるくらい頑張られるのでしょうね。

頼りない人生の先輩の私たちですが、これからも変わりなく、ずっと見守らせてください。
そして又、散歩をしたくなったら、ここにもお立ち寄りください。

合掌
by hanatabi-haruko | 2013-01-16 11:09 |

「家業を背負う」ということ(2013.01.11 FRI.)

家業の酒造業に入り、森谷杜氏との同級生コンビで切り開き、見事に軌道に乗せた柿崎社長さんが、一月八日にご逝去されました。

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昨年11月25日(日曜日)。
今季始めての酒蔵訪問を「天の戸」さんに決めた時、柿崎社長さんのご病状をあまり詳しくは知らずにいました。

治療されながら会社にも出勤されているとは伺っておりましたので、
今日がその日だったらお会い出来るのではないか?と、お目にかかれるのを密かに期待していました。

1階の仕込みタンクの辺りを、杜氏さんの案内で歩いていますと、
「いつもお世話になっています。」
社長さんが、何時ものように、きちんと両足を揃え、ちょこんと会釈をされているではありませんか。
私は、期待通りにお会い出来たことが嬉しくて
「社長さん!お忙しいところ‥お邪魔しております!! 」
不覚にも満面の笑みで、何時もより半オクターブも高いうわずった声で応えていました。(「後で同行した娘に、「なんか不自然な挨拶だった」と言われましたが。)
 
あ!、覇気のあるお顔をしていらっしゃる。これなら大丈夫。
私は勝手にそう思い込んでいました。

それが、柿崎社長さんと交した、最後の挨拶になりました。

もの静かで口数の少なかった社長さんが、少しづつ堂々とされてきた
お付合いのこの20年間が思い出されて、走馬灯のように巡ります。

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1992年‥‥「吟醸ひやおろしの会」へのご出品に始まり、
1994年‥‥オリジナルブランド 「純吟ランドオブウォーター」の依頼
2001年‥‥造り真っ直中の御蔵の見学会が始まり
2005年‥‥第1回「京都で秋田酒を飲む会」には柿崎社長さん、森谷            
杜氏さんとご一緒に、夜行列車で京都に出かけました。京都駅近くの東寺を観光し、銀閣寺門前のお店では、メインディッシュがかまどで炊いたごはんと聞き驚きながら、初の催しに備えて昼食をとりました。
2008年‥‥第4回「京都で‥‥」にも柿崎社長、森谷杜氏のコンビで出席くださいました。翌日曜日には、嵐山周辺を観光し、松尾神社にもご一緒しました。車折神社近くのおそば屋さんの昼食は延々2時間、おしゃべりし通し。(柿崎社長さんは無口でしたが、楽しそうでした)。
2010年‥‥第6回「京都で‥‥」には、秋田の若い蔵元さんを率いて、柿崎社長さんと日の丸醸造の佐藤社長さんが、貫禄を見せてくださいました。     

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そして、活気ある酒蔵を訪ねてモチベーションを高めようと、造りの期間中に2回はお邪魔しておりますが、いつも勝手なお願いを快くお引き受け下さり、笑顔で対応してくださる柿崎社長さんでした。

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家業を受け継ぎ背負われて、
森谷杜氏さんと力を合わせ、
酒米の手配、若手の後継者育成にも気を配り、
魅力ある酒蔵に育てて、
お客様の信頼を得、
今や、酒好きなら誰もが知る「天下の天の戸」さんになりました。

振り返りますと、生涯に凄~いお仕事を成された方だなあと‥‥驚きます。

インターネットの時代です。柿崎社長さんの訃報はアッという間に
知れわたりました。
9日の夕方、店にいらしたお客様が、お目当ての一本を選んだ後にもう一本、
「天の戸の社長さんの供養のつもりです。」と言って
<夏田冬蔵・吟の精>をカウンターに持ってこられました。
「ありがとうございます!」
私は、思わず涙ぐんでしまった目を見られないよう、深く頭を下げました。

お蔵は只今造りの真っ最中です。
蔵人は、更に熱く情熱を燃やして酒造りに取組んでいることと思います。例年になく冷え込むお蔵での作業です。どうぞ、体調管理には呉ぐれも気をつけてください。

柿崎秀衛さんのご冥福を心からお祈りいたします。
by hanatabi-haruko | 2013-01-11 15:03 |

デモは無駄ではなかった(2013.01.09 WED.)

一月三日のブログ<私の初夢>でご紹介した山口幸夫さんから、もう一つ素敵な贈り物を頂いたことを思い出しました。

1975年、ベトナム戦争が北ベトナムの勝利で終わったことは、誰もが知るところです。
デモで戦車輸送が止められた訳でもなく、戦争は長期化し結局何十万人ものベトナム人、アメリカ兵が亡くなりました。

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何年か前、山口さんが話してくださいました。
ベトナム戦争戦勝記念の式典に、日本から小田実氏ら「ベ平連」関係者が招かれ、北ベトナムの戦士として戦った方達との交流があったことを。
私たちのように組織に所属しない一個人がデモに参加しようとした時、「ベ平連(ベトナムに平和を市民連合)」という自由な団体があり、多くの市民が三々五々集まったものでした。 

『ただの市民が戦車を止める会』の山口幸夫さんも招かれて、その中におられ、

アメリカ軍が大量のナパーム弾を投下し、ゲリラを掃討する為に枯れ葉剤を山野に撒き散らす中、北の戦士たちは、地下壕に潜み悲嘆にくれていた。
そんな時短波放送で、「他国の見づ知らずの市民たちが、身体を張って戦車の輸送を止めようとデモを繰り返している」というニュースを聞き、「勇気が湧き、戦いの後押しをしてくれた。」そして「勝利に繋がった。」


と、感謝の言葉をかけられたそうです。 

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話を聞いて、私はホッとしました。戦車輸送は止められなかったけれど、デモは無駄ではなかったんだ ! 
思い出しては、時々チクチク突き刺さる、古傷のトゲのような想い出でしたが、山口さんから伺った話のお陰で、トゲが抜け落ち傷が癒えたように思えました。

そして、世界中に広がった反戦デモに参加したことで、歴史的な出来事に一市民が立ち会えた‥‥今では誇れる想い出になっています。そう思えるまで、なんと時間のかかったことか

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戦争が終わっても、枯れ葉剤によると思われる奇形児出生は、未だにベトナムの人たちを苦しめ続けています。
35年も経とうとしているのに、爪痕は未だに消えてはいないのです。

なのに、ベトナムの人たちはこう言っているそうです。
「アメリカ(のした行為)を許そう。でも決して忘れない。」
誇り高きベトナムの人たちの優しさを知る言葉です。


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ストック、水仙など、店内に飾った早春の花が、よく香ります。
by hanatabi-haruko | 2013-01-09 19:56 |

小寒過ぎて、はや七草(2013.01.07 MON.)

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正月早々から降り続いた雪が、アッという間に積りました。
除雪車が入ったのが28日。晦日頃は一旦積雪ゼロになった川反通りでしたが、
また、元の木阿弥です。

本日の天気は、曇り時々晴れ間あり。
雪もほんの少し降りましたが、比較的穏やかでした。
12月に入って直ぐから雪が降り続いた今冬、秋田県は除雪車出動で、今期の除雪費用を既にほとんど使ってしまったそうです。
雪がどのくらい降るのか降らないのか、そのことが大きな関心事です。

暦も5日の<小寒>を過ぎ、今日は<七草>です。

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せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけの座、すずな、すずしろ
春の七草。(五、七、五、七、七で覚えやすいのは、秋の七草と同じです。)

 ♪ 七草なずな 菜っ切り包丁たたいて
  唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ前(さき)に
  慌ててパ〜タパタ ♪


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軽く塩ゆでした七草をまな板にのせて、
歌いながらトントン刻みます。


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刻んだ七草をおかゆに入れて、煮立ったら出来上りです。



新年が始まってこれからは、「春まで、あと何日」と、暦を一日一日数えて過ごせます。
by hanatabi-haruko | 2013-01-07 15:41 | 雑事

ずっと冷凍庫の中です(2013.01.06 SUN.)


せっかくの日曜日だというのに、朝から自宅の周りや倉庫の前の雪掻きに追われました。
なにしろお正月から、雪が降りっぱなしなのです。

昼過ぎ、やっと散歩に出かける余裕ができました。

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道路の除雪で、歩道にはみ出す雪の山

 
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融雪歩道といえど、こう降り続けば追いつきません。


県立美術館の名物、一階屋上の水盤は、水を張ったままで、雪が積っていました。 ↓

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千秋公園本丸からの雪景色 ↓

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お堀沿いの歩道も雪の壁ができています


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駅前のバスターミナルも足元がよくありません。


街中どこも雪だらけ。低温注意報が出て、当分の間雪が降り続く予報です。

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末の孫娘からも誕生日プレゼントが届きました。
彼女好みのピンクのガーベラに、なぜかマトリョーシカの小物入れ。
おぉ〜、ありがとう!
また遊びにきてネ。


by hanatabi-haruko | 2013-01-06 22:20 | 雑事

私の初夢(2013.01.03 THU.)

=新しい科学技術を実社会の中で活用する場合には、あらゆるリスクを想定して、進歩よりも踏みとどまる勇気を優先する。それが人間の叡智である。= 
そんな共通認識が当たり前になった。
=原子力に関する科学技術を学ぶ学生が増え、いかに安全に原発を止めるか?いかに核のゴミ=核廃棄物を処理し保管するかの研究が進む。勿論、国家的プロジェクトとして推進される。= 
明るい希望が見えてきた。
=緑豊かな福島の自然の中、笑顔の村人たちがあちらこちらで農作業をしている。= 
以前と同じように、豊かな風景、豊かな農作物を求めて近隣から人々が集う。

う〜ん、苦しい!
私は初夢から目が覚めました。

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こんな夢をみたのは、大晦日にYさんから届いた著書を読みながら寝入ったからでしょうか?
『原発事故と放射能』(岩波ジュニア新書)


 
夢のまた夢‥現段階では不可能に近いことだからこそ、せめて夢の中だけでも実現したいと願ってのことと想像します。

何冊も著書のある方ですから明かします。
Yさんとは、<原子力情報資料室>の共同代表者のおひとりである山口 幸夫さんです。
原子力に関係する産業界からは独立し、危険でリスクの大きい原子力発電に頼らない社会を一般市民の立場から目指すというスタンスです。

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余談ですが、ずぶの素人が何か知ろうとしたら、信頼のおける出版社のジュニアー版がいいですね。難しいことではなく、基本的なことを丁寧に解説して欲しいのですから。 


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我が家には和英辞典のジュニアー版の他にも、日本の歴史のジュニアー版など、大人になってから求めたジュニアー版が結構あります。



Yさんとのご縁は随分前、純米酒「出羽の雫」が販売されるようになって何年か経ったころでした。
学会で秋田にいらしたYさんが、有機低農薬米にこだわった日本酒「出羽の雫」に興味を持たれて、来店されお買い求め頂いて以来の、長いお付合いです。
そしてYさんとの距離が縮まったのは、お互い認識のないまま過去に行動を共にしたことがあったと知ってからです。

1960年代後半から70年にかけて、ベトナム戦争が激化して‥‥こともあろうに、日本からベトナムのアメリカ軍へむけて戦車が輸送されていることを知った時の若者たちの怒りは、むしろ悲しみに近いものでした。
「私たちは知らないうちに、無抵抗に近いベトナムの村人の殺戮に手を貸している」
「せめて戦車を日本の地でくい止められないか?」

神奈川県相模原市の市民が「ただの市民が戦車を止める会」を立ち上げました。
行動の中心にいたのが山口さんでした。
毎日のように市民のデモによる抗議があったころのことです。
止むに止まれぬ気持ちでデモに参加はしたものの、圧倒的な機動隊の力で結局何にも出来ずデモ隊は蹴散らされました。
(その時の感想文(夫の)が、山口さんが編纂した文集に載っていたことに、ずっと後になって山口さんが気付づかれ、ご縁を再認識した。という訳です。)


むかしむかしの、私たちがまだ若かったころのお話です。

外は吹雪です。
日中の気温は氷点下5℃ほど、この冬最低気温のようです。

福島も、最低気温マイナスを日中に記録しているようです。
原発事故現場はどうなっているのでしょうか?
私たち(国民)の代表として、冷却作業にあたっておられる作業員の方達の安全を心から願わずにはいられません。

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花束が届けられました。
あ、そうだ!明日は私の誕生日でした。
甘いチョコレートもいいけれど、やっぱりお花が嬉しいです。
(夫に感謝です)


初夢が、正夢になればどんなに嬉しいでしょう。
by hanatabi-haruko | 2013-01-03 15:54 | | Comments(0)