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方言で苦労した話(2017.06.07 WED.)


天の戸の森谷さんの杜氏コラム「恋する秋田弁」を読みました。
面白くも切ないお話でした。何年か前まで、私も方言で苦労していたことを思い出します。


東京から娘を伴って秋田に移住してから40年以上経ちます。
思い起こせば遠く東北の地に移住して、耳慣れない秋田弁に随分悩まされました。

何回も聞き直すことが失礼に思えて、曖昧なまま注文を受けて失敗したこともありました。
イッケェースゥって‥‥1ケースなの?一級酒なの?‥‥など。

夫は地元の人とは秋田弁で、私が会話に入ると私に話すときだけは標準語(?)でした。
無理だろうと思ったのか、秋田弁で話すことを促されたこともありませんでした。
たまに勇気を出して秋田弁を使ってみたときの夫の反応は、冷ややかなものでした。
「わざとらしい」とか「濁音が違う」とか厳しく否定されました。微妙な半濁音ができないんです。
そんなことがあって、私は秋田弁を使いこなす生活を早々と放棄し、秋田弁を使わずに気を許して話せるのは夫だけの日々を過ごしていました。

娘(第一子)が秋田市のど真ん中の小学校に入学してからは、転勤族の奥さんたちと心置き無く意思疎通ができホッとしたものです。ただし、せっかく仲良くなっても、数年すると次の任地に引越して行ってしまう。大多数は秋田地元のお母さんでしたから。
PTAの集まりが終わって、雑談が始まると途端に私の理解不能なディープな秋田弁での仲間内の会話が始まり、私は置いてゆかれているような疎外感を味わったものです。

娘が小学校中学年の春のPTAのことでした。学年主任のY先生が学年全員の父兄の前で
「就職先の東京で、秋田弁に悩んで他人と会話ができず、自殺した教え子がいた。」と深刻な話をされました。どんな趣旨で話されたのか未だに解りませんが。
「え!そんな悲劇をこの地の人たちは体験することがあるんだ。」ショックでした。

私はハッと気がつき、我ながら名案と思えることを、自信を持って提案しました。
「それならせめて授業中だけでも、みんなで標準語で話すようにしたらどうでしょうか?」
そのお手伝いなら私にもできると思ったからでした。
ところが予期せぬ返答がY先生から発せられて、私は体が硬くなりました。
「秋田弁を(多分、田舎を)バカにするんじゃない!」そんな内容でした。
そして、「標準語ではなく共通語だ」と訂正されました。

余所者が標準語(?)を駆使して、軽々しく発言すべきことではなかったことに気がつき、私は顔が真っ赤になり周囲のお母さんの反応をみる余裕もありませんでした。
抱えているコンプレックスを、余所者から言われたくないのだ。と、察しました。
先生の発言に対して何か発言する人はなく、私の提案がおかしいと言う人もいないまま、しばし沈黙が流れました。その後、何もなかったようにそのことには誰からも一切触れられることはありませんでした。

新しい提案や反対意見は、慎重にも慎重を期して言わなければならないんだと気づきました。
忘れられない地域差ギャップの失敗談です。

千葉県房州、そこで疎開者として受けた仲間はずれの体験が私にはあリます。
我が家での会話は普通に標準語(?)でした。
方言を共有できないものに、地元の子供は厳しいです。
標準語(?)を使うなんて気取っている!と見做されるのです。
さすがに房州の方言の「ダッペ」は恥ずかしくて使いませんでしたが、会話のはじめの語り掛け言葉「アノサ~」はいつの間にか使うようになりました。
なので、就職で上京した時には、その辺は注意して話していた記憶はあります。方言で恥をかいたり悩んだりすることはなかったように覚えています。
 

b0226219_16245963.jpg房州の友人が送ってくれた名産「びわ」と

 
b0226219_16250294.jpg潮の香りがプンプンする「ひじき」
ごちそうさま!


どこに行っても自分を崩さず、譲らない大阪弁は別格です。
吉幾三さんや伊奈かっぺいさんが開き直って使い続け認知された青森弁、ラッパーの間では人気の秋田音頭など、東北地方出身であることが自慢できる材料にもなりました。
昔のような方言に対する偏見が少なくなったと感じます。
方言こそアイデンティティーだ!!と大きな声で言えるようになったのかもしれません。

今では時々「んだから~」「んだね」などと秋田弁が混じり喋る私です。
そして都合よく、ある時には生まれた富山県八尾町をふるさとと言い、またある時は育った千葉県の房州をふるさとと言い、県外に出れば今現在住んでいる秋田がふるさとだと言い‥‥関わってきた場所全てがふるさとだと言えることが嬉しいです。どこかひとつに決められないのです。

b0226219_16250571.jpg食べ始めてから、気がつきました。


食卓に並ぶ惣菜「わらびのお浸し」も、「ミズと蛸の辛子醤油和え」も、「根曲がり筍と油揚げの味噌汁」も、どれも秋田の自慢の山菜、ふるさとの味を当たり前のように食べています。美味しい!
ことほど左様に紆余曲折があって、私流にこの地に根付いています。
文化は、どんな地にどんな人種として生を受けたかではなく、どんな言語で生きているかによって決まるのかもしれませんね。

たまに県外からのお客さんに「秋田弁が聞きたい!」と言われることがあります。
そんな時は夫が、今はもう誰も使わないだろうゴテゴテの秋田弁で対応します。
(わざとらし〜い!可笑し~い!)



by hanatabi-haruko | 2017-06-07 16:29 |

鎌鼬美術館(2017.06.05 MON.)


ずっと行きたかった羽後町の「鎌鼬美術館」に行ってみました。(冬以外の土日開館)

b0226219_17054080.jpg鎌鼬(かまいたち)‥‥日本に伝わる妖怪で、風と共にやってきて気付かぬうちに刃物で切りつけられたような傷が付いている。

 
b0226219_17054899.jpgここは長谷山家の敷地でした。

敷地の前のはさ掛けの木組みは、



b0226219_17065050.jpg写真家細江英公が撮影した土方巽演出「鎌鼬」を象徴するもの。


b0226219_17055206.jpg田代地区の地主だった長谷山家は、右側に母屋が明治15年に、

 
そして左側には、3階建ての鞘堂に収まる座敷蔵 が明治35年に建てられたそうです。



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b0226219_17055942.jpgこの家の上客をもてなしたと言われる座敷蔵は、


b0226219_17060498.jpg今は羽後町で生まれた暗黒舞踏家・土方巽の活躍を記録した細江英公の写真が展示される美術館として解放されております。


b0226219_17060908.jpg立派な漆塗りの梁に、白漆喰の壁がなんと美しいこと!


秋田出身の舞踏家 土方巽の存在には関心がなかったわけではありませんが、

b0226219_17064550.jpg情報だけで、実際にその舞踏を観たことはありません。


b0226219_17064762.jpg以前手に入れたポストカード


b0226219_17061323.jpg身長170センチを超える土方と、案外小柄だった玉野黄市(一度間近で観劇しました)のツーショット。二人の腰の位置の違いに驚きます。



あくまでも軽そうに高く飛躍する西洋のバレーに対し彼の舞踏は、腰を出来うる限り低くし体を硬くして素足で泥の大地を掴むよう。
すらりと長い西洋人の足に対して、田んぼの畦道に一日中飯詰(えずめ)に括り付けられて赤ん坊の頃を過ごしたガニ股O脚の東北人の足。そんな生まれ持った体躯前提で表現する土方の舞踏は、観劇者にとって決して心地よいとは言えず、ひ弱な鑑賞者を寄せ付けないものだったかもしれません。が、彼の周辺には若き芸術家や賛同者たちが集い、彼の暗黒舞踏の試みを支持していたようです。

b0226219_17062117.jpg自然光が入る座敷蔵の2階。


b0226219_17061823.jpg巨大とも言える木材に圧倒されます。


b0226219_17062514.jpg「アスベスト館」での練習風景の写真


案内は、かつて長谷山家の大番頭だった家系で、近くの酒屋さんのご主人菅原さん。
私たちの知識を補足してくれ、土方巽へのさらなる興味を膨らませてくれました。
ありがとうございました。


b0226219_17063236.jpg贅沢な作りの母屋を抜けて


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2階の渡り廊下を鞘堂側に渡りますと

b0226219_17063781.jpg鞘堂3階はモダンな雰囲気の大広間です。


b0226219_17064035.jpgわざわざガスを引いて(ガスボンベかな?)ガス灯が設置されていたようです。


終戦までこの地区600町歩を取り仕切った大地主と小作人だった農民とは(お互いに)、当然のことながら距離をとっての付き合いだったようでした。
昭和の初めまで電気がこなかったところだそうです。が、贅沢な洋室には煌々と明かりがともり、事あるごとに地元の名士たちが集り、その度ごとに母屋の台所から階段を上がり下りして料理を運んだそうです。

時代は変わったといえどそんな田舎で、突然やってきた前衛芸術家を農民たちは拒否することもなく撮影を許しました。想像するに、農民と土方の間には利害関係は全くありません。自分を解放しありのままに振る舞う土方巽に戸惑い気圧されながらも、案外同じ(土の)匂いを感じて受け入れてしまったのではないでしょうか。稲刈りの繁忙期であったにもかかわらずです。

地元の農民を巻き込んで、よくぞ傑作「鎌鼬」が生まれたものだと不思議でしたが、雇われて掃除をしていた地元の方の話を聞いて納得できたような気がいたしました。
そして今では一緒に写真に撮られたことが、大切な思い出になっている年寄りがいるとのことでした。

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はさ掛けをしている農家は今でもいるそうです。縦柱の「はさ」は地面に差し込むのが大変で、もう何十年もこのままだそうです。
田植えの終わった小雨降る田んぼが‥‥美し〜い!

b0226219_17065962.jpgこの季節の花「ウツギ」、別名イワシバナが雨に濡れていました。


秋田市からは車で約1時間半の内陸部の田代地区ですが、熱心な外国からの訪問者もあり、年間2000人ほどの見学者がいるそうです。
行ってみてよかったと思っています。
by hanatabi-haruko | 2017-06-05 17:41 |

田村一氏の個展「新・折衷主義」を覗いて(2017.03.10 FRI.)


b0226219_14275416.jpg陶芸家田村一さんの個展のポストカードが届きました。
今回のテーマは「新・折衷主義」


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会場は近くです。早速覗いてみました。
白磁に鉱物の「からみ」の粉を乗せて焼いたそうです。
清冽な白色が、地の底からの鉱物を受け止めて焼かれ融合しています。
他にも大胆な造形物が、「どう!どう?」と、問いかけてきます。

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そう言えば、前回は

b0226219_14281911.jpgこんな唇の盃を衝動買いしました。
ちょっとグロテスク、でもオシャレ!


b0226219_14282267.jpgとても繊細です。


田村さんのお話を聞きながらアレコレ眺めているうちに欲しくなって、直径12センチほどの小鉢(碗)を求めました。

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生成りがかった白の逆三角錐、
渕に沿ってぐるりの釉薬が緑も茶も色調が抑えられて‥‥形はまるで生え揃った粘菌の子実体みたいです。

b0226219_14280915.jpg参考までに


b0226219_14281381.jpg参考までに


b0226219_14280365.jpgこの角度から眺めては、 癒されています。

いいなぁ〜!





by hanatabi-haruko | 2017-03-10 14:51 |

忌野清志郎 「カバーズ」1988年(2017.03.04 SAT.)


忌野清志郎 「カバーズ」、発売してから29年も経っているけれど、聞く度に2011.3.11大震災の原子力発電所の事故‥‥放射線の影響に怯え故郷を捨てて逃げる人々の様子が甦ります。(我が家でも、孫たちの安全を考えたら日本国外に脱出するしかないかと、親たちは真剣に考えていたようです。)

<サマータイム・ブルース>

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b0226219_10173803.jpg♪暑い夏がそこまで来てる 
みんなが海にくり出していく
人気のない所で泳いだら 
原子力発電所が建っていた
さっぱりわかんねえ  何のため? 
狭い日本のサマータイム・ブルース
 


b0226219_10174161.jpg♪熱い炎がさきっちょまで出てる
 東海地震もそこまで来てる
だけどもまだまだ増えていく 
原子力発電所が建っていく
さっぱりわかんねえ 誰のため?
 狭い日本のサマータイム・ブルース 



b0226219_10174531.jpg♪寒い冬がそこまで来てる 
あんたもこのごろ抜け毛が多い
それでもTVは言っている 
「日本の原発は安全です」 
さっぱりわかんねえ 根拠がねえ 
これが最後のサマータイム・ブルース



b0226219_10175000.jpg♪あくせく稼いで税金とられ 
たまのバカンス田舎に行けば
37個も建っている 
原子力発電所がまだ増える
知らねえうちに 漏れていた 
あきれたもんだなサマータイム・ブルース




電力は余っている 要らねえ もう要らねえ
電力は余っている 要らねえ 欲しくない
電力は要らねえ 危ねえ 欲しくない‥‥‥


サマータイム・ブルースはアメリカのロックンロール草創期に活躍したエディ・コクランの代表作。
チェルノブイリで原発事故が起きたのは「カバーズ」発売2年前の1986.4.26。

RCサクセションの「カバーズ」が東芝からは発売禁止になり、発売元を替えて世に出た(1988.8.15)ことが話題になり、オリコンチャート1位を記録した。

そのころ、原発は二酸化炭素を排出しないあたかもクリーンなエネルギーであるかの如く宣伝されていた。そうは言われても、日本人には広島、長崎と、核被爆の歴史体験があるし、疑いの目で見ていた人たちも多かったように思う。
「 カバーズ」には、核戦争で世界が破滅するんじゃないかと警告する替え歌や、日本の政財界の拝金主義者を揶揄するカバー曲が他に10曲入っている。またレコーディングに参加協力している豪華メンバーにも興味があります。

思ったら歌にする。とは言っても、彼のスタイルから想像しますと、反戦反原発ソングで『メッセージ』を世に発信したつもりはなくて、人間の愚かさ、詳細を知らされないままに被災した人たちの哀しみや怒り無念さを言葉にしただけ なんだと思います。残念なことに、彼は2009年喉頭がんのため58歳の若さで死去。2011年の東日本の大震災、原発事故まで後2年でした。

彼忌野清志郎 はチェルノブイリ原発事故の惨状を知り、核戦争の脅威や原発事故はどこか遠い国の出来事ではなく、日本でも起き得ることを特有の動物的嗅覚で予感したのかもしれません。彼の予感は的中しました。

清志郎さ~ん! 貴方の懸念していたことがほぼ現実になって、わたしたちは驚きオロオロしています。もし貴方が健在だったなら、心配が現実のものになったことを、ご自身が一番驚き哀しんだかもしれませんね。

できることなら長生きして、2011.3.11の東京電力の地上最悪の原発事故を一緒に検証し続けてほしかった。(事故から6年経っても未だに、メルトダウンした核燃料の処理には手が付けられずにいます。高濃度の放射線の為ロボットさえ予定通りに起動できずにいるようです。汚染水のタンク、除染物の入った黒いビニール袋は原発周辺に山積みのまま。つまり事故のあった周辺には高濃度の放射線がこの先何十年も、まだまだ存在し続けるってことなんでしょう。) 
「福島の原子力発電所は、完全にコントロールされているなんてウソさ!」 って、歌って欲しかったです。
発禁を恐れずにありのままを表現できるエンターテイナーは、清志郎さん、あなたくらいしかいないかもしれませんから。
「オレにはもう関係ないよ!」なんて言わないで、遠い空の上から見守ってくれているって思わせてください。

ドライブ中に聞きたいCDラックの中に、忌野清志郎のこの「カバーズ」も入っています。
深刻な内容、歯に衣着せぬ物言い、なのにスカッと歌う明るさ。クセのあるしゃがれた高音を、時々聞きたくなるのです。
 




by hanatabi-haruko | 2017-03-04 10:33 |

2016・マイブーム(2016.12.28 WED.)

一つ目は

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ケータイマグ500ml入りが大活躍いたしました。

喉を潤すことは勿論ですが、水分補給が一番の目的ですので、夏でも体温に近い温度のお湯を入れておいて、ゴクゴク飲みました。

 
お陰で夏の間は大活躍、夏バテもせず脱水症状に陥ることもなく過ごせました。

では冬はどうなのか?
最近仕入れた情報によりますと、 「10分置きに喉に水分を通過させれば、風邪の菌が洗い流され(胃では胃酸で菌が死滅するので)風邪に掛かり難い」 そうです。
そこまでせずとも、気がついた時に一口飲めば、他人(ひと)と接することの多いこの時期、風邪予防によいかもしれません。
旅にも携帯しますし、一年を通して手放せないものになりました。

二つ目は

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梅ジャム。

ジャムの定義に甘いという項目があるとしたら、これはジャムではありませんが。

 
話せば長いことながら、梅の実の出回る初夏のころでした。
「梅の実ってどうして青い実が多く売られているのだろう?実っていう以上は美味しさは熟れてこそじゃないのかな?」
苺、山葡萄、ハマナスなど、熟れた果実に出会うと砂糖で煮てジャムにしてみたくなる私です。そんな疑問が私のなかで大きくなっていました。
オレンジ色に熟れた梅の実を店頭で見かけたときには、迷わず「今年は梅ジャムに挑戦してみよう!」と決まっていました。

わくわくしながらの作業でしたが、甘酸っぱい美味しい梅ジャムは‥‥結局できませんでした。
何故って、気付いた時には時既に遅し。砂糖のはずが塩を、それも大量に投入した後だったからです。なにをぼやっとしていたのでしょう!

諦めきれず、艶やかな飴色の失敗作「梅ジャム」は、私の執念で一転して自己流「梅日塩」に変身です。

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ところがこれが 絶妙な塩梅で、思いがけず美味!!
スプーンにほんの少しの量を野菜に混ぜるだけで

 
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↑ 後はオリーブオイルをお好みの量かければ、梅の風味の爽やかなドレッシングになるのです!
お~、良かった良かった!
大事な材料と光熱費と時間を無駄にせずにすみました。ホッ!

来年は最初から「梅日塩」造りをしようと思っていますが、またまた勘違いして今度こそ「梅ジャム」ができたりして‥‥それもまたいいかな?
by hanatabi-haruko | 2016-12-28 09:09 |

ノーベル賞受賞・話題の人(2016.12.12 MON.)

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日曜日、未明の降雪で道路が一面白くなりました。

 
日曜日未明と言えば、スエーデンのストックホルムではノーベル賞の授賞式が開かれていたようです。

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大隅さんがノーベル賞受賞晩餐会で、


「酵母をおよそ40年研究してきた。この機会に酵母からたくさんの教えや素晴らしい贈物を貰ったことに感謝したい」 と挨拶され、「私が もっとも気に入っているのは酒」 と続けて、会場の笑いを誘った。と報道されました。
日本固有の醸造酒「酒」の酵母の魅力を伝えてくれたような気がして、酒関係の仕事に携わるものとして、してやったり! のうれしさです!
来店のお客様との会話も更に盛り上がり、酒談議に花が咲きそうです。

もう一人、私が感心をもった受賞者はボブ・ディランです。
↓ 新聞の一ページ全面に載ったボブ・ディランの記事です。

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折しもテレビでは1960年代フォークシンガーの活躍前夜を思わせる映画を見ましたし、10日深夜、11日深夜はふた夜連続で「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」前・後が流れました。

聞いたことのなかった斬新なメロディーラインで驚いたのはビートルズ。
歌詩で衝撃を受けたのはボブ・ディランだったことを思いだしています。
授賞式には欠席が分っていたボブ・ディランでしたが、代理人を立て最低限の礼は尽くした形になったのは意外でしたが。

月曜日の今日、町中の雪はすっかり解けてしまいました。
by hanatabi-haruko | 2016-12-12 19:26 |

日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!‥(2016.12.07 WED.)

今、イノベーション=「革新」‥制度や組織などをかえて、新しいものとすること‥という言葉がよく使われています。(リフォームに近いかな?)

新政酒造の蔵元・佐藤祐輔さんが、最近 <日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!2016.11.20 前編 2016.11.29 後篇のテーマで対談されています。
とても興味深い内容でした。

自らの理想とする酒造りについて、直球を投げるような発言です。
酒造りの理想を江戸時代の生酛造りとし、当然アルコールや乳酸などもろもろの添加物を認めず、酒の個性を新種酵母の開発に求めず(6号酵母に限定)などなど‥‥健全な思考で掘り下げてゆく。酒を醸すことを通して、日本文化の固有性をも根底から問い直す。胸がすく思いでした。
読んでゆくうちに、これは「革新」ではなく「革命」じゃないかと直感して‥‥どきり!(日本酒を「世界に尊敬される」酒に戻す!で検索できますので、是非ともご一読を)

且つて、レボリューション=「革命」‥既成の政治権力を倒し(握り)、国家や社会の組織を根本的に変えること‥と言う言葉を身近に感じたことがありました。

時代は遡って50年近く前、学生運動が日本社会を大きく揺さぶっていた頃のことです。
場所は日比谷公園。若者たちの圧倒的な支持を得て青白き青年、東大全共闘 代表 山本義隆氏が登壇しました。
連帯を求めて孤立を恐れず 力及ばずして倒れることを辞さないが 力を尽くさずして挫(くじ)けることを拒否する  
のメッセージカードを胸に付けて。

折しもベトナム戦争が激しくなり、毎日のように戦闘機が沖縄のアメリカ軍基地から発進し、ベトナムの国土をキャタピラで踏みにじる戦車が日本から運び出されていました。
いかに日米安保条約が締結されていたとはいえ、「それを傍観することは、ベトナム戦争のアメリカ側に加担するに等しい」と、私も思っていました。
反安保、反戦、大学の自治等々を掲げて学生運動が激しさを増していました。

正義の筋を通そうとする若者たちの、常識を破壊するラジカルな発信に、心を揺さぶられた記憶が甦えりました。

え、ちょっとちがう? かもしれないけれど‥‥でも蔵元さんの発信に、気持ちが揺さぶられたのは確かです。

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↑ ジャコバサボテンが咲き始めました。
by hanatabi-haruko | 2016-12-07 14:40 |

兄夫妻の『終活』その3(2016.12.03 SAT.)

昨日までの強風が嘘のような穏やかな晴天の12月です。
↓ 風もなく陽射しが眩しい旭川です。

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ところで、日本の100歳以上人口は今や60,000人を越えたそうです。
高齢化社会、親兄弟家族に高齢者がいる方は少なくないと思います。
これから人生100年の時代に限りなく近づいてゆくのでしょうか?
自分自身の老化とも格闘しながら、真正面から兄弟家族が「老いていく」ことを受け止める時代の到来といえましょう。

90歳を越えたご両親と同居しているMさんが教えてくれました。

二人を見ていて思うのは、からだの老化と気持ちの老化のギャップです。‥‥
中略‥‥二人を見ていて、ふと人生は100メーターの水泳競技に似ているのかなと思います。50メーターでターンしてからが本番で、ゴールにタッチするまで「ひとかき」「ひとかき」にすべてを込めて泳ぎきろうとしているのかなと。年取っても毎日が無駄のない「ひとかき」なのかと。


私には、離れて暮らす80歳半ばの兄夫妻がおります。
日常生活の上手な手伝いもできず、ただおせっかいな傍観者に過ぎなかった私にとって、適確過ぎる助言です。目から鱗でした。
以来私は、心配だと言いながらその実は干渉しようとしていたことを反省し、はやる気持ちを抑えられるようになりました。 気が楽になりました。

先日兄から、送った増田町りんごのお礼の電話がありました。
「終活は少しは進んでいるの?」
「進めている。気がつけば、回りには自分より年齢が上の人がうんと少なくなったからネ。」
「そうね~!(手を付ける余裕が出来たのネ)」
「義姉さん(妻)が転んで肩を骨折してね‥‥通院しているヨ。」
「え! それは大変ね!」

翌日兄から住所変更の挨拶状が届きました。
長いご無沙汰をお詫びいたします。
2年来の二人の体調不良も漸く一段落した模様で、来春は「新居」でゆっくり過ごせそうです。
と。順番が逆になりました。 

ヤレヤレ。身体的不具合やちょっとした事故は日常茶飯事のようです。
それでもなんとか日常生活を取り戻して、二人三脚で歩き出しているようです。

納得できる生き方を手探りしながら、全力で生き抜こうとしている兄夫妻。
例え思わぬアクシデントでアタフタしているように傍目に写ったとしても、ゴールに向かっての力泳を、今は見守ってゆこうと思っています。

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ご近所の垣根の残菊です。

 
♪ 庭の千草も虫の音も 枯れて寂しくなりにけり
 ああ白菊 ああ白菊 ひとりおくれて咲きにけり ♪

散歩のできる天気が続き、迎えるお正月が穏やかな天候であればよいと願っています。
by hanatabi-haruko | 2016-12-03 11:29 |

ルイ・ロブションさんご一行ご来店!(2016.11.10 THU.)

昨日は秋田市でも積雪がありました。
短い時間でしたが道路は白一色、はっきり目に残る初雪でした。
6℃ほどの今日は、最高気温がこの秋一番低いのかな?
空は鈍色、吹く風は一段と冷たい冬の入口にいます。

気候の所為にするわけではありませんが、人の動きが少なくなり街も静かです。
お客様のご来店が少ない昼過ぎ、いきなり珍しいご一行様がご来店です。

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ワインの輸出入の仕事をされている ルイ・ロブションさんご一行です。
ロブションさんの両側お二方づつは、フランス国内のレストランのソムリエさんとシェフさんたち。(明らかにそうでない一人が紛れていますが) 
ミシェランガイドで☆獲得のレストランの方もおられるそうです。
日本酒のフランスへの輸出を前に、長野県、福島県と訪ね秋田県まで旅されてきたようです。

ルイ・ロブション(安倍ロブション龍依)さんのお母様は日本人だそうで、日本語はぺらぺら。意思の疎通は全く問題無しです。

今夜開栓すべく目的のお酒を数本選ばれて、次の訪問酒蔵に向かわれました。

秋田の風土や食べ物を堪能して、秋田のお酒の魅力をフランスで紹介してくださればうれしいですね。ご来店ありがとうございました。(お陰で目が覚めました。)
by hanatabi-haruko | 2016-11-10 15:52 |

池見元宏先生のこと(2016.11.07 MON.)

11月に入りました。
亡くなった方をずっと忘れないでいることが、残されたご家族にとってご迷惑ではないのか?迷いながらもこれまで一年に一度この時期、必ずお訪ねしてきたお宅があります。
11月5日がその方の命日です。

1984年11月5日、秋田県醸造試験場の場長だった池見元宏先生は、これからのご活躍を期待されながら、54歳の若さで他界されたのでした。
日本酒に関わる基本的な事柄を教えて下さった方、多くを学ばせていただいた方でした。

6日(日曜日)にお宅を訪ねますと、大らかで何時までもお若い奥様が玄関先で応対して下さいます。
「5日の命日に親戚と三十三回忌の法要をしまして‥‥」とのこと。もうそんな時間が過ぎ去ったのかと改めて驚きます。

池見先生のご仏前には、その年に発売されたばかりの「出羽の雫」を供えていただくのが、何時からか決めごとになりました。奥様が刈穂酒造の会長さんとご親戚筋であることも後日知り、御縁を感じております。

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酒販売店の仲間3店が、「刈穂・出羽の雫」の醸造を酒蔵刈穂さんにお願いしたのが29年前のこと。先生がご存命であれば、一番にご報告したかった事柄でした。
「出羽の雫」は毎年11月1日発売、今年で28回目の造りになりました。

今年はちょっとした新しい試み(販売会のメンバーも参加して酛摺り作業をしたこと)をご報告できました。 

 
花束は奥様へのプレゼントのつもりですから、明るい色を選んでみました。
今年は花やさんで「これとあれ」などと、私も楽しみながら花束ができ上がりました。↓

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仏教の世界では、どんな人でも33年経てば極楽浄土にいけると言われています。
三十三回忌法要は形式的には法要のし納め、弔い上げの意味があるのはその為でしょうか?
池見先生は、早々と極楽浄土に行かれて、美酒のグラスを片手に日本酒新時代の到来を驚かれ、喜んでおられるのではないでしょうか? ‥‥そんな気がいたします。
by hanatabi-haruko | 2016-11-07 16:05 |