遅めのお盆休みは、台風11号9号の影響を避け、宿泊先を弘前と決めて、日本海を北上致しました。
21日、日本各地に爪痕を残して台風が北上しているというのに、ひと休みした
深浦の<ウエスパ椿山>は、穏やかな晴天でした。
青空にサルスベリの花が映えていました。
奥羽山脈の西側は、台風による暴風雨の影響はなく、暑さだけは東北の中で秀でております。
次の休憩地<千畳敷海岸>では、抜けるような青い空、白波の立つ青い海に出会えました。
海猫が風上の北西を向いて飛び立つタイミング、風を読んでいます。
♪ 遥か沖行く フェリー船(?)の ‥‥♪
ここは五能線の<千畳敷駅>
折しも<橅>号が停車し、発車してゆきました。
もう少し先に車を走らせて<十三湖>のしじみを食べてみたかったのですが、無理をせずに内陸に向かいました。
↑ 一度は見てみたかった金木町の太宰治の生家<斜陽館>です。
<斜陽館>を中心にして、
観光センターや津軽三味線を聞くことの出来る会館があります。
まず腹ごしらえです。
メニューに食してみたかった<しじみラーメン>があるではありませんか。ラッキー!
ラーメンの器。しじみスープを飲みほすと、太宰の小説「津軽」の一節を読める仕掛けですが‥‥
とても塩っからくてのみきれません。
しかたなく、食べ終わった夫の器に汁を移させてもらいました。
私の塩分摂取量の三日分ほどの塩っぱさだったのには驚きました。
折角しじみのエキスが出たスープなのに、出がらしのしじみの身だけを食べて諦めました。
せめてお土産に<しじみスープ>なるものを買い求めようと店員さんに聞きますと、「県外からのお客さんには塩っぱいと良く言われます。」とのこと。
それでも地元の味、塩加減なので塩分控えめはしないそうです。
む〜残念!
気を取り直して、
津軽三味線の演奏を楽しみ、
金融業も営んでいた太宰の生家を見学いたしました。
雪輪模様の欄間が素敵です。
修治が生まれた小間
同じ建物の中で、居住空間と金融業の店舗は洋室と洋風廊下、階段、吹き抜けの空間で切り替えられています。
太宰は「子どものころ、大きいばかりの家に愛着がなかった」ように書いていますが、多くを持つ人間が気付かない幸せな少年時代であったことは確かのようです。「ひねくれた少年時代」と太宰自らが語っています。
貧しくても、太陽燦々の地に育った健全な(少女だった)私には、理解し難い贅沢な生活です。
高校時代に読もうとした「人間失格」。理解が難しくて、途中で簡単に挫折してしまったことを思いだしました。
人間って、無い物ねだりをしてしまうものなんですね。
↓ 二階から眺めたお庭です。かなり贅沢な暮らしぶりが分りますね。