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『負の遺産』を受継いでゆく(2016. 03.10 THU.)

5年前の 3月11 日に私たちは、且つて無かった大地震、大津波を体験しました。
そして何と言っても、安全神話に基づいた危機意識欠ける判断が引き起こした大惨事・原発爆発事故を『負の遺産』として受け継ぎました。

辛い記憶は‥‥できることなら消しゴムで消して、なかった事として忘れたい。
東京オリンピック誘致のスピーチで「汚染水は‥‥完全にコントロールされています!」と、日本国首相が断言したのには驚きました。
ちょっと待って!恐れていたメルトダウンが起きていると言うのに。
事故の検証もまだまだされてないし、真摯に原因を追求してゆく覚悟をまず聞きたいのに!!

恐ろしい体験を忘れようとする自己防衛本能が人間にはあるかもしれません。だとしたら尚更の事、危機感として受継いでいかなければ、大袈裟かも知れませんが、人間として種としてこれから先、生き残ってゆける可能性がないのではないでしょうか。
血となり肉となって身体が覚えこみ、危険を回避する知恵を取得するまでに、一体何年かかるのでしょうか?
何十年?もしかしたら放射線の半減期と同じ何百年?かかるのでしょうか。

14年ほど前、ドイツを旅行したことがありました。第二次世界大戦で大きな『負の遺産』を背負ったドイツ。
反ヒトラー抵抗運動に参加したドイツ人政治犯やその家族、グループのメンバーが、幽閉され処刑された『プレッツェンゼー収容所記念館』に行ってみました。
1945.5.8にドイツが降伏するまでの間に、1800~2500人の主に自国ドイツの人たちが処刑された場所だそうです。

現地ガイドのハイケ・ブラウエルさんに案内してもらいました。
訪れる人の多くは研究者や関係者、小学生の社会見学などで、ハイケさんも始めて訪ねたとか。当日の見学者は疎らでした。

湿った床には未だに血の跡と匂いが残っているようで、冷たい空気が部屋を満たしていました。
惨い処刑が執行された場所だと思うと、さすがにカメラを持ってゆく気にはなりませんでした。
「誰もが思いだしたくない、目を背けたくなる場所(がここにある)。」と、ハイケ・ブラウエルさんは呟きました。

ベルリン市内には、他にも冷戦時代の東西ベルリンを分つ壁=境界線上にあったチェックポイントチャーリー博物館(ベルリンの壁を乗り越えて捕まったり射殺された人たちの記録が展示されていて、多くの入場者で混雑していました。)。
ベルリンの壁イーストサイドギャラリー(世界中のアーティストが制作した壁画が展示され、壁が存在した事実を後世に残そうとしていました)。
ユダヤ人の歴史を知る事が出来るユダヤ博物館。
ドイツでもっとも大きなユダヤ教の教会シナゴーグ(折しもアラブによるイスラエル襲撃事件があり、銃で武装したドイツ軍隊が物々しく周辺を警備していました。)など歴史を辿れる場所が多くあります。
    
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敢えて残したベルリンの壁の残骸。
この壁の向こうの地下壕には、ヒットラーの秘密の隠れ家があったそうです。む~!!


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ベルリン市内ティアガルデン近くを散策していて、『広島通り』と命名された通りを見つけました。原子爆弾が投下された日本・広島市に思いを馳せ、世界平和を願う。他国の歴史的重大事を我が事に感じ、肝に銘じている謙虚さを感じました。 


自国が加害者となった記憶は忘れてはいけない。いずれの場所にも、あえて教訓として残しておこうとする強い覚悟をドイツで見ました。
何十年も繰り返し記憶して、身体に浸透させることが大切。ドイツはそれをし続けているのだなあと感じました。
 

人間の長い歴史の中で、『負の遺産』を受継いでゆくのは、辛く難しいことなんだと感じます。
同じ過ち同じ悲劇を再び起こさないためにも、
被曝しながら廃炉作業にあたる作業員の方々や、事故当時の被曝を気にしながらこれから成長してゆく子どもたち、除染が追いつかず帰還を躊躇するご家族、農林漁業に従事する方々‥‥不安を抱えながら生きてゆく全ての方々と、苦しみの根源である東京電力福島第一原発の事故を問い質し、どう検証されているのか知り続ける義務があると、私は思います。

喉につかえて取れない小骨のように、身体に痛みを刻み込み、危険性を共有し、私たちのDNAに刷り込まれるまで‥‥原発の今後・困難な廃炉作業を、いったいどのくらい長い間見守り続けてゆくことになるのだろうか? 春遠し‥‥。
by hanatabi-haruko | 2016-03-11 09:05