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秋の京都で ・2(2015.10.22 THU.)

『法金剛院』はJR山陰線・花園駅すぐ近くにありました。
これまでは、西大路通より西にはなかなか行く機会がありませんでしたが、旅の二日目は一度訪ねてみたいと思っていた『法金剛院』に行くことに決めていたのです。
待賢門院璋子が暮らした地だから。そして平安時代後期の歌人西行のことと合わせて興味のあるお寺だからです。

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月曜日10時前の法金剛院はまだひっそりとしていました。拝観料を納めると、受付の女性が小走りで御堂を開けにいってくれました。


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鶏頭の赤い花の咲く横を通り

 
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赤と白実の南天の側を過ぎると

 
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<法金剛院>の額の掛かる建物がありました。
ここに重文の仏像が安置されているのです。


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ご本尊は丈六の「阿弥陀如来座像」です。
薄つらと彩色が残る穏やかなお顔の阿弥陀さんは、1050年ほど昔からここにおわすご本尊だそうです。


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四手の「十一面観世音菩薩」は繊細な細工の瓔珞 をジャラジャラ身につけて、口元の紅色がまだ鮮やかです。鎌倉時代の作。
立派な厨子に安置されているので退色を免れているのかもしれまん。


23歳で突然出家した西行に恋の歌が多いのは何故か?
鳥羽天皇を警護する北面の武士にすぎなかった義清(出家前の西行の名)が、高貴な女人(鳥羽天皇の中宮璋子)を密かに慕っていたのなら‥‥真相は西行の心の中に永遠に閉じ込められたままですが、秘めたる恋の話は膨らんで、(璋子と西行について書かれた)小説は数多く出版されています。
二人がここ法金剛院で同じ時間を共有したことがあるのは確かです。

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女性が自らの生き方を選べなかった平安時代に、運命に翻弄され奔放な男性関係を持った璋子。
落飾後の璋子のなんと艶かしいことか。(いずれもポストカードです)



堂々とした阿弥陀如来、豊満な体躯の十一面観世音菩薩。
並べられた二体の仏像が、だんだん西行と璋子に見えてきました。

花の寺としても知られている法金剛院、待賢門院璋子が愛した庭園を散策してみました。

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仏手柑・・黄色く色ずくと指を沢山持つ(仏の)手のようです。


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花後の紅もくれん


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逞しく太い水引


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千両


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クチナシの実


春には桜の花が咲き、初夏には花菖蒲、紫陽花が咲く。
そして池いっぱいに蓮が花咲いて、香しく匂う極楽浄土のようだとか。

時代を経て、今は寺は小じんまりとしているけれど、そのほうが傷心の女人にはぴったりに思えます。
こんなに素敵な空間なのに、滞在している間、他に参詣者はいませんでした。
暫し一人占めの贅沢をいたしました。
by hanatabi-haruko | 2015-10-22 14:37 |