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家業のこと ・ 6 (2014.06.06 FRI.)

<美味しい酒は自分たちで飲もう>「秋田吟醸ひやおろしを飲む会」(1990~2002)県外からも蔵元、左党が集合。 

「出羽の雫」販売会のメンバーが酒蔵に何回も通ううち、蔵元は、
「こんな美味しい酒を知っているか?」と、大事に取っておいた大吟醸ひやおろし酒を、(自慢げに)一口飲ませてくれたそうです。(それが‥‥間違い?でしたね。)
どの蔵にも美味しい隠し酒があることを、知ってしまったのです。
酒蔵の稀少酒「大吟醸ひやおろし酒」を皆で飲もうという発想が生まれたのは、自然なことでした。

そのころどの酒蔵でも自社のお酒が一番。愛社精神なのか、県内他蔵のお酒もほとんど飲んだことがなかったのではないでしょうか。
ましては他県には、美味しいお酒がまだまだ沢山あることを知ろうともしていなかったように見えました。
「他県の話題の酒を飲んでもらい、秋田の酒造りの参考にして欲しい。」というのが、「会」のもうひとつの目的になりました。
いざ声を掛けてみますと、県外の酒蔵さんも快く応じてくれました。

スタートは参加者60人。後に共催する酒販店は6人に増えて、気持ちが大きくなりました。

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参加者100人を越えた2回目3回目は、川反の料亭濱乃家さんが快く引き受けてくれました。


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そして参加者が100人を大きく越えた4回目以降は、榮太楼旅館さんがほぼ全館貸し仕切り状態で引き受けてくれました。


多いときで最高170名の参加者が、全員しっかりテーブルに着き、美味しい料理を肴に各蔵自慢の吟醸ひやおろしを味わい、蔵元さん杜氏さんと交流したのでした。(私たち酒屋の女房連中は、準備と当日の受付、集計などの雑事を担当し、酒屋の主人たちを支えました)

「出品酒の利き酒」、「人気投票」、「杜氏さんによる講話」もあり、誰もが喜んで自腹を切って遠路から来てくだり、楽しんでくださいました。

一般の飲み手が酒造関係者と話をする機会など、ほとんどなかった頃のことです。蔵元さんや杜氏さんにはホスト役になってもらい、自社の宣伝の機会にしてもらいました。ここで出会った蔵人からの誘いで、造りの最中に蔵を見学するチャンスが増えました。(私も造りの現場に行くようになり、工業製品とは違う造りの世界に魅了されて行きました。)

京都のFさんはお仲間と一緒にご常連でしたし、京都のNさんも常連になりました。
蔵元さんでは、遠くは佐賀県の東一の瀬頭さん、山形県の上喜元の佐藤さんが第4回目から欠かさず出席してくれたことが忘れられません。

大勢で集まる場所と美味しい料理を提供してくれる協力者にも恵まれました。
良い会場が準備できなければ、成立たない企画でした。快く協力してくださり、一緒に楽しんで下さった料亭さん、旅館さんに心から感謝しております。 
2006年、栄太楼さんは旅館を廃業され、想い出の旅館はマンションに立て替えられました。

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「10周年記念に冊子を出すべきだ」と篠田さんから原稿が送られてきたことで、充分な準備がないまま発行した冊子。急な原稿依頼にもかかわらず、多くの関係者が寄稿して下さいました。

 
冊子のご挨拶には夫の文章で、
商売上手の新潟だったら、「幻の‥‥」として東京で大宣伝をしたでしょう。我慢の山形だったら、地元では二級酒を飲んでも県外に出荷したでしょう。
それを「自分たちで飲んじゃおう」と思ったのが、いかにも秋田の人間でした。
 
とあります。(まさにその通りの贅沢を13回も続けたのでした。)

1991年の全国新酒鑑評会では「AKー1」酵母(秋田流花酵母)が高評価を得ました。県内40蔵による統一銘柄「旬吟醸」が企画され人気を博しました。吟醸純米酒が店頭にも並びちょっとした秋田酒のブームでもありました。(販売促進のため、私はディスプレイを工夫したり、張り紙を何枚も描きました。)

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季節はもう夏です。その証拠に夏花=白い花が目立ちます。

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エゴの木の花


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ヤマボウシ


by hanatabi-haruko | 2014-06-06 10:46 | 雑事