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家業のこと ・ 1 (2014.05.17 SAT.)

店舗兼住宅の我が家も、築30年になろうとしています。
川向いの交通量の多い道路からは目立つ場所ですし、雪国の建物のメンテナンスを考え10年に一度は外装補修工事を繰り返してきました。

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今回の補修工事は、

 
雪の降る前から「2.3階ベランダ避難ばしごの架け替え」、「ベランダの床の張り替え」、「スティール製ボックス入り電気メーターの付け替え」を始め、「コンクリート基礎部の補修」。そして仕上げは、念入りに外壁の厚化粧です。

酒販を家業とする我が家は今年で創業100年、100年目の厚化粧となりました。

<建物のこと>
開店時の建物は義祖父が建てたそうです。
太平洋戦争終戦直前に繁華街密集地の建物整理に引っ掛かり、旭川の中に引き倒されたのが昭和20年(1945)とか。後数日待てば、戦争が終わったのに。

昭和26年(1951)頃まで、佐竹藩の武家屋敷のあった根小屋町に引っ越して家業を続け、その後、戦後の物資不足の中廃材をかき集めて、もとの場所に建て直した2階建ての店舗兼住宅で、夫は育ったそうです。
私たちが越してきて住んだのもその建物でした。車が通れば硝子戸はガタガタ鳴り、冬はすきま風が容赦なく吹き込む家。雪解けのころにはシガモリ(氷が解けて壁伝いに雨のように漏れた)に悩まされました。 

昭和47年(1972)、私たち家族は夫の家の家業を継ぐベく、秋田に越してきました。
昭和58年(1983)5月26日の日本海中部沖地震で、建物は大きなダメージを受け、翌59年春先から立て直しが始まり6月に完成。3階建ての店舗兼住宅での生活が始まり今に至っております。
気密性の高いサッシのお陰ですきま風からは解放され、時に外の強風に気付かないこともある頑丈な家にほっとしたものです。 

<屋号のこと>
大正3年(1914)の師走に、勤めていた酒問屋から独立して、秋田最大の飲食街川反通りの真ん中に酒販店を起業したのは、夫の祖父「彦四郎」でした。


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店の屋号は義祖父の名の一文字「彦」が付けられています。


詳しい事は解りませんが、義祖父は(働き盛りで)事故で無くなったそうです。跡取り孫息子(夫)の名前に「彦」の一字が入っているのは、しっかり者の義祖母が孫に託す願いがあったからかもしれません。

家業を起こした義祖父の意思を義祖母が守り、義父が引き継ぎ、夫に渡してくれてからもう40年。私たちは、人生の三分の二をここで生活してきました。家業でなんとか生活の糧を得てこられたことに、感謝しております。

そして、私たちの年齢を考慮しますと、100年目の今年は大きな区切りの年になろうことは確かです。

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100年前、開店当初の灘の酒「春駒」の看板。



101年目からはどんな展開があるのか?  妙案があるわけではありませんが‥‥、取りあえずは建物の外観体裁が整ったことで、選択肢がひとつ増えたような気はしています。
by hanatabi-haruko | 2014-05-17 19:20 | 雑事